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 カカシが子どもだった頃は大戦中で、どんな微力でも良いから戦力が必要だった。アカデミーは要領良く戦い方を教える場所で、一日でも早く卒業させることが優先された。仕方のないことだったし、きっと断腸の思いでしたことでもあった筈だし、結果的に大戦を生き残ったのだから里としてはそれで良かったのだろうが、それでも、カカシはそれが三代目の失政と思っている。
 だがそれを乗り越えたからこそ、今のアカデミーがあるのだろう。技術と経験が豊富なだけの者ではなく、イルカのように、忍びとして不自然なほど情の深い人間を教師とするような。それが、大戦中には成せなかった三代目の理想なのだと思う。
 つまり教育というものは、単に技術や知識を教え込むことではなく、一人一人が気にされている、放っておかれることなどないと子どもに伝える為でもある、ということだ。
 三代目に直接師事したミナト先生も、それを重視していた。三代目から、術や戦い方だけでなく、理想も受け継いでいた。きっと三代目も師から受け継いだのだろう。
 命が散っても、残るものがある。残していこうとする者がいる。木の葉はそうして忍びの短い生に意味を与える。カカシはこの里のそういうところが好きだ。

 イルカを、あるいはイルカの教え子達を見ていると、カカシはそんなことを思う。
 イルカは子ども達を一人一人見ていたのだろう、と教え子達の様子で分かる。あからさまにイルカへの好意を表すナルトはもちろん、くの一クラスでの授業が多かったであろうサクラや、ひねくれたサスケでさえ、イルカを先生と呼んで自然に慕っている。子どもは、理解も愛も世話もしてくれないなら、他人に懐いたりしないものだ。野生の動物のように敏感にそれを見分ける。イルカはどの子の目にも、自分は気にかけられていると感じ取られていたのだ。
 他人に関心を持たれず放っておかれた子どもはまた、他人に関心を持てない。けれど、イルカの教え子達はきっとそうならないだろう。三代目やミナト先生が受け継いでいった木の葉の命は、イルカが子ども達に伝え、また子ども達も誰かへ伝えていくのだ。そんな気がしていた。カカシはそれが嬉しかった。

 イルカは報告書受付で良くナルトのことを尋ねた。
 多くの生徒を同じように見ているのだと思ったが、ナルトだけは少々違うようだった。ナルトを長い間苦しめた孤独を埋め、放っておかれることなどないと信じさせるには、他の生徒と同じようでは駄目だったのだろう。イルカはまるで父親や母親のようにナルトを心配し、愛情を与え、それを隠さなかった。
 イルカはDランクの他愛ない任務の報告書を嬉しそうに読む。
 しかし、それを差し出したカカシには決して目をやらなかった。不満はない。仕方のないことだと思えた。
 イルカはカカシに怯えていた。まるで子どもや動物が、敵を敏感に見分けるように。そしてそれは正しい。
 カカシはいつも、イルカの奥にある何かを見ようと目を凝らしていた。笑顔の向こう側が見たかったのだ。今のイルカを形作っている、明るい朗らかさを奪い取って壊し尽くしてやりたいという乱暴な思いさえあった。それに怯えるのは当然のことだ。

 そのうちカカシは、自ら視線を外すようになった。そうすればイルカに怯えられ、視線を逸らされることがない。カカシは距離をとってイルカに接した。イルカの明るく眩しいチャクラや沈殿する静かな苦しみについて、カカシは触れず、知人と呼ぶに相応しい距離を保った。イルカはその方が安心するようだった。
 しかし、イルカのチャクラ通りの明るい笑顔や真っ直ぐな態度は、カカシを温かく癒し、その奥にあるであろう苦しみを思うと、よりそれらが愛おしく、抱き締めたくなるような衝動を覚えた。その気持ちの動きだけはどうしようもなかった。
 無理矢理に触れて、チャクラを流し込んでみようかと思ったこともある。そうすれば、あの冬の日を思い出して貰えるかもしれないと。そしてイルカのチャクラも感じられるかもしれない。かつて、カカシの痛みを照らしだした明るい、眩しいチャクラを、もう一度でも感じたかった。

 しかし、ある夕刻、いつものように、Dランク任務報告書を提出すべく、受付へ赴いた時、カカシはそれを諦めた。
 受付所では、背後にある窓から西日が射し、そこに座るイルカを照らしていた。辺りが赤く染め上がる中で、イルカの真黒な髪は一筋さえ赤に侵食されていなかった。誰かが笑い、イルカも声を上げて笑う。一面の夕空の下で、深い苦しみを湛えて泣いた少年は、もう何処にもいなかった。
 この健やかな人は、自分が触れて良い人ではないのだ。カカシは不意にそう思った。

 もう一度触れてしまえば、カカシは手放せない。それはあってはならないことだ。イルカの明るく温かいチャクラは、子ども達に与えられるべきものなのだから。カカシの為のものではないのだ。
 思えば、イルカの瞳の奥の苦しみなども、きっと、本当は存在しないのだろう。あの冬の日の後流れた十数年の年月の中で、きっとそれは癒され消えてしまったのだ。自分が特別に思っていた、自分だけが感じ取れる筈だと思っていたそれも、カカシがそう願っていただけで。
 そう、有りもしないものを、カカシは探し続けていたのだ。あの苦しみさえあれば、もう一度、イルカが触れてくれるような気がして。

 カカシは、イルカの瞳から視線を逸らし、ただ背中だけを見つめて過ごした。







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