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 ある冬の日、寒さで澄んだ大気に映える真っ赤な空を見たときも、同じものを思い出した。
 長期任務の後、報告書を提出し終え、自宅へ帰る途中だった。
 疲れ切った体でぼんやりと歩いていると、道の端で黒髪の少年が突っ立って空を眺めていた。その視線の先を見てやっと俺は空が赤いことに気付き、夕暮れであることを意識した。僅か父の背中がちらつくように思い出されたが、カカシは変わらぬ速度で歩き続けた。
 カカシは少年の後ろを通り過ぎ、ふと少年の背中越しに夕日を見た。少年の立つ場所から、日はとても良く見えた。いつか流した誰かの血のように、そして譲り受けた左目のようにそれは真っ赤に燃えていた。
 その時、カカシはあの記憶を思い出した。いつものあの、父と、美しい夕日である。
 しかし、その日のそれは、今までにない力強さを持ってカカシの胸を押さえ付けた。父のチャクラが常にないほどはっきりと思い出され、自分の胸から腹にかけて温かくさえ感じられた。父の歩く速度や、呼吸をする度に微かに動く背が、余りにもリアルにカカシの脳内で浮かび上がり、思わず立ち止まるほどだった。それらがまるで眼前にあるように感じる。しかしもちろん、それらが今ある筈がない。全て失ってしまったものだ。訳の分からない何かが、熱く、それでいて冷たい何かが、体内を巡りまわっている。狂おしく胸が痛み、体験したことのない感情の奔流にカカシは息を詰めてそれに耐えた。
 しばらくして落ち着き、ふと気付くと、少年が振り返ってこちらを見ていた。真黒な潤いのある目で、何もかも知っているかのように深く、そして寂しさを感じるほどに澄んでいた。そこにはカカシがこの落ちる日に感じた激しく焼け付いた瞬間的な痛みではなく、静かで凪いでいて何処までも続く海原のような途方のない苦しみが見えた。
 カカシは僅かに移動し、少年の隣に立った。少年は当然のようにそれを受け入れて、彼らは並んで日が落ちていくのを眺めた。互いの何処かに似ている何かを見たからだ。
 少年はそうしながら、ほんの少し泣いた。カカシがそれを目で見た訳ではなく、そういう雰囲気がしたというだけだから、あるいは泣きそうになったというだけで、本当には泣かなかったかもしれない。
 ともかく少年の涙の気配を感じながら、カカシは父を思い出し、少年の立つ右側の肩にチャクラを集めた。今まで自分に向けてくれた、父や、先生や、オビトやリンの温かなチャクラを思い出す。それを思うと、不意に自分は独りではないと感じた。彼らがこの愚かな自分を助け、命を分け与え、生かしてくれている。誰かにチャクラを向けることをしてみて、それがやっと分かった。
 少年がカカシのすることに気付かなくとも、それはそれで良かった。見たところ、忍びではあるが、まだアカデミー生だろう。チャクラの流れなどろくに感じ取れなくてもおかしくはない。
 だが、少年はその微かなチャクラの揺れに気付き、元々僅かだった互いの距離を更に縮めてきた。同じようにチャクラを集中した細い肩に触れる。少年のチャクラは目を瞑れば眩しいと感じる気がするような、明るくはっきりとした存在感があった。
 とても綺麗だ。少年の明るいチャクラを感じながら、夕日を見てカカシはそう思った。父の背中、オビトの瞳、誰かの優しいチャクラ、それらは今までと同じようにカカシの中で郷愁と伴に蘇ってきたが、焼け付くような激しい痛みはもう感じられなかった。もちろんそれらは、後悔であり、苦しみであり続けるが、ただそれらはいつまでも変わらずそこにあり、カカシを生かすのだ。そう、胸にすとんと落ち着いた。
 日が落ち、暗くなり始める中で少年のチャクラは明るく輝いている。記憶の中の夕日がくっきりと靄を捨て去った姿で照らされるように思った。きっとこれからは夕日を見ればまず、父の背中ではなく、この少年のチャクラを思い出すだろう。
 カカシは、少年の途方もない苦しみを明るく晴らすことはできずとも、せめて温かな感触で一時でも慰められればと、少年にチャクラを渡し続けた。






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