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 それは寒い日だった。
 見上げれば真っ赤な空が一面に広がっていた。その下を、アカデミーからの帰り道、イルカは背中を丸めて何かから身を守るようにして歩いた。
 夕暮れはイルカに孤独を気付かせる。1年足らず前まではこの時間は幸せの象徴であった。しかし全ては失われてしまった。仲良く肩を寄せ合う両親も、頭を撫でてくれる優しい手も、どこを探しても見つからない。急いで帰ろうとも、温かい食事を用意して待っている誰かもいない。イルカには一人きりで住む家に、帰る意味さえ分からなくなってしまった。
 イルカは立ち止まった。そこはちょうど、父と母が立ち止まって夕日を眺めた場所だった。
 父母が見惚れた夕日の美しさももう分からない。真っ赤なそれは、あの悪夢の日を思い出す、禍々しいものにしか見えなかった。だが、こうしていると今にも後ろから父母が声をかけてきそうな気がした。当然、そんなことは起こる筈がなかった。
 父母はあそこに飲み込まれてしまったのだ。イルカは辺りを紅色に染める夕日を見て思った。この紅色は何故、自分を連れて行ってくれないのか。何故、二人だけ逝って、自分だけが残されてしまったのか。夕日は答えてなどくれない。
 しばらくしてイルカはふと後ろを振り返った。何かがイルカを呼んでいるような気がしたのだ。
 後ろには、少年と言うには大人びていて、青年と言うにはまだ幼い、微妙な年の頃の男が立っていた。イルカの肩越しに夕日を一心に眺めている。肌も髪も色素が薄い所為で、夕焼けの中では全身が赤く染まっていた。
 イルカは少し驚いて、彼を見つめた。気付かぬうちに背後を取られていたからではない。原因は彼の目にあった。
 その目は夕日を眺めるのには恐らく相応しくない、まるで縋りつくような、いや、縋りつくものなど何もないと知って諦めたような目をしていた。
 イルカは、これに類似した目を見たことがそれまでで一度だけあった。誰かに引っ張られるようにして九尾から逃げる途中、血塗れで倒れていた忍びがこんな目をしていた。イルカの方をじっと見ていた。イルカに助ける術がないことを知っていても見ずにはいられなかったのか、あるいはもう目を開けたまま死んでいたのかもしれない。
 イルカは、彼も同じように苦しんでいるのだ、と思った。そして死に類するほどの痛みに苦しみながら、それでも生きているのだ。
 不意に彼はイルカに目を移した。そして血塗れの忍びと同じようにイルカをじっと見つめた。イルカも彼の疲れ切った潤いのない右目を見つめた。彼の瞳は良く見ると、夜が明けて間もない空に似た薄い青色で、髪は、他に明かりのない暗闇の中で差し込む月影のような白っぽい銀色のようだった。真っ赤に染めてしまっている夕日が憎らしい位それは綺麗な色だった。
 ややしてから、彼は何も言わず、イルカの隣に立った。まるで随分昔からそうすることを約束していたみたいに自然な動きだった。しばらく二人並んで夕焼けを見上げた。
 そうしている内に、イルカは泣き出したいような気分になった。誰かとこうして夕日を見るという状況がもう一度やってくるなんて思いもしなかったから、少し嬉しかった。と同時に、もう自分はこんな名前も知らない他人としかいられないのだと気付いた。
 歯を食いしばって涙を耐えている時ふと、肩が温かい、と思った。
 そして程なくこれは隣の男のチャクラであると分かった。
 昔、こんな冬の日、イルカが寒いと言って泣くと、父か母のどちらかがチャクラを練ってカイロ代わりに手を握ってくれた。肩の温かさはそれにとても良く似ていた。
 温かくて、優しくて、自分は独りではないと感じた。
 イルカはアカデミーで習った通りにチャクラを練り、肩に集めた。上手く出来ているか不安だったので、近寄って肩をくっ付けた。こうすれば幾らなんでも分かってもらえるだろう。
血塗れの忍びには何もしてやれなかった。だからせめて同じ目をした隣の男の肩を温めること位はしてみたかった。
 そうしながら、これからは誰かの手を待つのではなく、自分が何かしなくてはならないのだと意識した。父と母はもういない、自分一人で生きていくしかないのだ、ということがすとんと胸に落ちた。
 今日この出来事のような偶然で、ふと他人と温め合うことで、その寂しさを耐えて生きていくのだ。それは薄ら寒いような心地がしたが、孤独で冷徹である分、無意味な希望や期待を抱かずに済むのが苦しくないだろうと思えた。
 そうしてイルカはそれ程寂しがらずに、温かいチャクラを分けてくれた人と言葉無く別れることができた。






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