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イルカはソワソワとした態度を隠しもしないで受付に座っていた。
その忍びらしくないイルカにも、同僚は何事かと質問もしない。分かり切っているからだ。イルカが今日の下忍認定試験の結果が気になって気になって仕方がないことに。
イルカがアカデミー教師になって三年経つ。初年度は、初等科担当でほとんど幼稚園の保母さん状態だったが、慣れた二年目から基本忍術などを万遍なく教える科に移った。そこにいた、二年間みっちり面倒を見た子たちは、実質イルカの初めての生徒と言える。そんな子らが認定試験を受けるのだ。気にならない筈がない。
シカマルやキバたちが合格したというのは午後の早い内に、アスマ先生たちが持ってきた報告書で分かった。他の子たちが残念ながら不合格になってしまったことも知った。ただ、もう日も暮れかけているというのに、最も気になる班の報告が来ない。ナルトたち七班だ。
ナルトは手のかかる生徒だった。腹に九尾を抱えているというだけでなく、悪戯ばかりだし、授業は真面目に受けないから当然忍術も上達しない。教師として叱りながらも教えることは教えてやらねばならない。だがナルトは、そんな形ばかりの配慮を拒否した。
そもそもイルカが教師になり、そしてそれを続けたのは、適性があったということはもちろんだが、本当は子ども達との関わり合い方が気に入ったからだ。子ども達は長い間一緒にいて、好意を持ったとしても、いつか何処かへ旅立っていく。子ども達の中にはイルカに良く懐いてくれる子もいたが、そんな子も帰る家があり、そしてアカデミーを卒業すればイルカが関わることもない。それは当然のことだと分かっているから、イルカはそれを悲しまずに済む。そこが気に入っていた。
しかし、ナルトはその中途半端なイルカの態度に、激しく抵抗し、寂しげに見上げた。イルカのそれが本物の愛でないことを敏感に察知していたのだ。
正直に言えば、イルカは、ナルトを幼かったころの己と重ね合わせ、傍にいてやりたいと願っていた。しかし教師として贔屓をしてはならないと思うことで、ナルトに必要以上に辛く当ってしまった。それが間違いだったと気付いた時、イルカはナルトを愛する覚悟を決めた。
イルカは両親を亡くした時、一人で生きていくことを決心している。それからもう十年程、誰も愛さなかったし、愛されなかった。イルカは孤独だった。だから、もう人としてその重さに耐えられない時期だったからかもしれない。ナルトを受け入れ、愛情を注ぐことが出来た。
ナルトを気にするのはそう言う訳だ。あの子がまたアカデミーに戻って来るのは、本人も辛いだろうし、イルカも辛い。あの子は早くイルカの手を離れ、イルカの臆病な愛情になど構っていないで、広い世界で多くの人に愛されるべきなのだから。
そこまで考えると、イルカはやはり、自分がナルトを手放すことを前提にしていることに気付く。誰も愛さずにいたから、まともな愛し方を忘れてしまったのかもしれない。だとしても一体どうすべきなのか、イルカには分からなかった。
そうして考えながら、受付に座り、次々に差し出される報告書をほぼ惰性で処理していたイルカは、その一つに唐突に、見知った下忍達の名前と合格を意味する文字を見つけた。イルカは思わず声を出していた。
「合格ですか」
呟きのようなものだったが、書類を差し出した手の主は「ええ」と律儀に答えた。イルカは嬉しくなって笑顔で勢いよく頭を上げた。
ナルトの上忍師は、火影様から聞いたのは下忍を合格させたことのない厳しい先生だということだったが、見た目にはそうは思えない、背を丸めて眠そうな目をした、日だまりでまどろむ猫を思わせるような人だった。
イルカは名乗り、甚だ筋違いではあったが、ナルトの合格に対して礼を言った。すると相手は額当てや口布に唯一隠れていない右目を驚いたように見開いた。失礼なことをしてしまっただろうかとイルカはたじろいだが、上忍師はすぐ目を細めて、丁寧に名乗って挨拶をくれた。
彼は話しながら、細めた目でイルカをじっと覗き込んだ。受付の机の後ろの窓から西日が入り込んで、カカシの白っぽい銀髪を半分だけ赤く染めている。
――昔、こんな光景を見たことがある。不意にそう思った。
蘇って来たのは、少年の日、冬の夕暮れだ。イルカはその時、孤独を受け入れ、それに耐えて生きることを決めたのだった。あの時の気持ちを忘れたことはない。あの薄ら寒くなるような決意も、そして、肩に触れた温かいチャクラも。
呆然とカカシを見つめていると、イルカは肩が温かくなるような錯覚を覚えた。イルカにはカカシがあの時の男だという確証は持てなかったが、じっと見つめてくる薄青の瞳と、月の光に似た銀の髪は、あの夕暮れを思い出さずにはいられなかったのだ。
ただ、カカシの瞳は、あの時の人のように、死に類する痛みを知る鋭さを持っていたが、しかしそれを照らすことのできる強い光もあった。その点が、別人のようにイルカに思わせた。
チャクラの感じを確かめようかとも思ったが、確かめずとも分かるような気がした。カカシはきっと父や母やあの時の人のようなチャクラを持っているだろうと思った。自分は孤独ではないと思わせる、包むようなチャクラだろう。きっと彼が練ったチャクラを集中した肩はとても温かい筈だ――。
そう思い、イルカはふと、後ろから何かが忍び寄ってくるような恐ろしさを感じた。
カカシのそんなチャクラに触れたいという欲求に気付いたのだ。そんなことはもうあの少年の日に捨ててきた筈だった。誰かに頼ってはいけないのだ、一人で生きていかなくてはならないのだ。
だから、触れてはいけない。
イルカはそっとカカシから目を逸らした。幸いにもカカシはその非礼を咎めなかった。