寝室


 セックスとは何か。
 それは、俺が人生をかけて追求する謎の一つである。
 始まりは、カーテンのない寝室だった。

 俺はその頃、イルカ先生と順調に親密度を上げていた。受付でちょっとした会話をこなし、食事に誘うビッグイベントを経て、結構な頻度で呑みに行けるようになった。どういった種類かは別としても、お互い好意を抱いているなぁと分かっている状態だ。
 そんなある夜、呑みすぎたとか何とかのたまう俺を、優しいイルカ先生はおうちに泊めてくれることになった。
 イルカ先生の家はとてもいい匂いがした。人工的に漂わせているものでなく、イルカ先生固有の、素の香りだ。風呂のような、初夏の夕立のような、温度と湿度を感じるが、かつ淀むことなく、青々とした若葉の間を通り抜ける風のようにすっきりとしている。ずっと嗅いでいたい香りだった。ビニール袋に詰めてお土産に持って帰りたいと本気で思った。イルカ本体の匂いを堪能できる今でさえ、もし芳香剤が出たら言い値で買うだろう。
 恍惚と深呼吸を繰り返す俺に、イルカ先生が布団敷けましたよーと呼ぶ。
 我に返った俺は、その部屋を目にした――イルカ先生を毎日抱きとめている羨ましいベッド。その横に敷いてくれたお布団。そしてすぐ上の窓には何故か、カーテンがかかっていない。
 その寝室は、イルカ先生の心のように明けっ広げだった。
 こんなところでナニか致したら、そこらの屋根をぴょんぴょん跳ねてる忍びに覗かれてしまう。イルカ先生のあんな姿やこんな姿は誰にも見せたくない。いずれ来る時のために、簡単な目隠し用の術を用意しておかなくては。俺はそんなことを考えて眠りについた。

 一体、何を余裕ぶっこいていたのだろう。
 しばらくして、俺は己の愚かさを痛感することとなる。
 それは遂に同じベッドに上げてもらった夜のことだ。と言っても、ナニかをする為ではない。服を着たまま、ただ睡眠を取る為だった。
 窓からウッカリ覗かれてしまったら恥ずかしい、なんて思いもよらないイルカ先生の寝室は相変わらず明けっ広げで、美しい満月がよく見えた。
 しかし実はその頃俺達は、よく前戯レベルのキスをして、服の上から身体を撫で回したりなどする仲になっていた。イルカ先生も満更でもなさそうだった。目隠し用の術を用いる日が、いよいよ現実味を帯びてきていたのだ。
 この人とセックスできるんだーね。
 隣でぐーぐー寝ている、月明かりに白く照らされたイルカ先生の横顔を見つめながら、じわじわとそう実感した。
 そして、ふと思った。

 待って。セックスって……なんだっけ?
 正直俺はそれまで、セックスと呼ぶべき行為の経験はそこそこあった。確かベッドで、時にはベッド外で、なにやら組んず解れつしてきた。筈だったのだが、何も思い出せない。
 自然に身体が動いていたから、改めて考えると良く分からないのだ。例えるなら、歩行に似ている。右足の次に左足を出す、すると前に歩ける。いちいち右! 次は左! とか考えない。俺にとってセックスはそういう類の行為だった。
 俺は首を捻りながらも、何をするか一つ一つ思い描いてみようと試みた。
 まずはキスから始めたい。それから、同時進行で服を脱いだり脱がせたりして――と考え、その時点で俺は目をカッ開いた。
 えッ服を……脱ぐ?! イルカ先生が?!
 パニックだ。これじゃ右足を前に出すなんてもんじゃない。まず両足で立ち上がれない。
 いや、できないじゃないの、セックス。
 愕然とした。その夜は眠れなかった。

 しかしもちろんそこで諦めることはできなかった。ここまできたら何が何でもイルカ先生とセックスしたい。
 俺は早速、翌日から厳しい修行に入った。
 と言っても、浮気はありえないので実戦はなしだ。その代わり、ありとあらゆる状況を想定し、イメトレに励んだ。イチャパラはこれまで以上に読み込んだ。
 要は考えなくとも状況に合わせて勝手に身体が動くようになるまで鍛えればいいのだ。その後はもうやってみりゃ何とかなる。忍びとしての経験上、大体そう。ま、ならなかったら死ぬだけです。そういう決死の覚悟と修行の日々であった。
 そして時は流れ、初めての夜を迎えた。
 修行の甲斐あってか、どうにかこうにか無事に終えた。しかし、できる限り平静を装ったとはいえ、正に産まれて初めての様相を呈していたと思う。掴まり立ちのよちよち歩きと言ったところだ。
 だがそんな何も分からないバブちゃんの俺にも、その時分かったことが一つだけあった。今までしてきたセックスは、セックスではなかったということだ。イルカ先生とのセックスに比べれば、今までの行為は棒を使った児戯のようなもの。なんかこう輪投げとか。

 では、セックスとは、何だ? この拙いよちよち歩きこそがセックスなのか?
 俺の中で改めて同じ疑問が湧き起こった。
 否、そんな筈はない。イチャパラはもっと凄いのだ。それを擦り切れるまで読み込んだ俺が実戦ではこんなザマだなんて、イチャパラに申し訳が立たない。
 俺はもっと、もっとヤれる筈だ……!
 そうして、俺の飽くなき探求が始まった――。

 ……と、仰々しいバックミュージックが聞こえてきそうなことを考えてはみたが、実際はそれから数回こなしても俺は相変わらずよちよちしていた。
 服を脱いだイルカ先生を前にするだけで、セックスってなんだっけ状態に逆戻りしてしまうのだ。あれやこれや、しようと思っていたことがあった筈なのに、キスをして、肌に触れると、嬉しくて楽しくてかわいくて興奮して全てを忘れている。ジェルをそこら中に零しまわり、ゴムを破き、慌てすぎてベッドから落ちる。忍びや男としての経験とか冷静さとか手管とかが、何一つなくなる。名実ともにスッポンポン、裸一貫はたけカカシだ。
 一生こうだったらどうしよう、としばらく悩んだ。でもま、楽しいのは確かだからもう良いかなーくらいに思ってしまい始めた頃、転機が訪れる。

 俺がちょっと長めの任務から帰ってくると、イルカ先生の寝室の窓に、カーテンが設置されていたのである。
 これは外つ国の神話における、人類が知恵の実を食ったのと同等の事件と言って良い。股間を隠すようになったアレだ。つまりイルカ先生が恥じらいを覚えたのだ。正確には、俺が泊まると寝室で人に見られては恥ずかしい行為をすることになると認めてくれたのである。
 大げさではない、大変なことだ。想像して欲しい。別にヤりましょうねと約束した訳でもなく、いつものように飯食って風呂から出たら、寝室でイルカ先生がちょっと顔を赤くしながらカーテンを自ら閉めていた姿を。俺はその時言いようのない衝撃と衝動で内側から弾け飛んで四散してしまうかと思った。
 その夜は実に盛り上がった。イルカの方もちゃんと俺を望んでくれているという安心感のおかげだろう。正しく知恵を得たが如く、よちよち歩きから突然ボックスステップを習得したかのようだった。

 そこから俺の探求は、俺達二人の探求へと変わった。二人でする行為だからそれが当然なのだが、そんなことも分かっていなかったのだ。俺はクズだ。
 俺達は手を取り合って、あとアレやソレを握り合ったりしながら、一緒に経験値を上げていった。
 長い付き合いになってきてからは、ちょっとかわいそうなAV脳、とか何とかイルカに言われるような行為をもリクエストした。時折は応じてもらえた。
 お互い忙しすぎて疲れすぎて寸止めを繰り返し、強制ポリネシアンセックス状態になったこともある。あの時はまだまだ若かった頃とはいえ、いい年して誇張でなく一日中寝ても覚めてもイルカの尻のことばかり考えていた。思春期でもああはならなかったのに。そんな中お互い仕事をやっつけて、ようやく尻にありつけた時のことは筆舌に尽くし難い。俺だけでなく、イルカの乱れようといったら、イチャイチャシリーズのヒロインだって尻尾を巻いて逃げ出すレベルだった。多分あれは本来合法じゃないと思う。しょっちゅうやったら気が触れる。木ノ葉では規制が必要だろうかと、のちに里長になった時に本気で悩んだものである。
 そんなこんなで俺達は共に歩んできた。もはや自由自在に踊れると言える。

 それらは大抵は、イルカ先生のアパートだった。付き合い始めた頃から俺が入り浸って、なし崩しにほぼほぼ同棲していたからである。イルカと俺の、イチャイチャなパラダイスがそこにあった。
 想い出やいろんな汁が染み付いたその部屋は、誰ぞの襲撃とか戦争とか色々あって何度かブッ壊された訳だが、パラダイスが消え去ることはなかった。パラダイスというものは何処か特定の一つの場所そのものを指すのではないからだ。俺とイルカ先生が仲良しでいる限り、いつでもどこでもそこがパラダイスになる。
 とはいえ、その辺の野っぱらで度を超えて仲良くすることは出来ない。もうすっかり恥じらいを覚えたイルカ先生と人前でイチャコラしようなんてした日には、俺の股ぐらが無事では済まないだろう。多分、形状が変わる。凸が凹に、とまでは言わないが、口くらいにはなる。
 俺の股ぐらの安寧の為にも、パラダイスにはきちんと屋根やら壁やらが必要だ。

 そんな訳で、俺達は落ち着いてイチャイチャできる場所を作ることにした。里の外れに、二人で半分ずつ金を出し合って建てた一軒家である。
 話し合って、お互いの生家にちょっとずつ似ているように作った。庭と縁側がある、古風な平屋だ。家というものの原風景なのか、誰が遊びに来ても懐かしい感じだと喜んでもらえる。忙しい合間をぬって頑張った甲斐があったと思える家に仕上がった。

 中でも寝室は俺こだわりの一部屋だ。
 互いのお着替えをベッドから眺められる位置のクローゼットと、いつでも汗やら何やら諸々を洗い流せるシャワーブース付き、カーテンは言うまでもなくしっかりと分厚い。そしてその中央に、俺のポケットマネーでお高いマットレスを買い、二台のベッドを並べた。
 ……今もしかして、エエ〜ッ! 一つのベッドで一緒に寝てないの〜ッ?! と驚いた方、馬鹿にした方、おられました? 侮らないでいただきたい。我々木ノ葉のオシドリ代表、ウルトラスーパーラブラブハッピーパワーカップルをッ!

 ベッドが二台あるのには、ちゃんとした理由がある。
 俺とイルカ先生は忙しい身だ。限界ギリッギリまで働いたら思う存分寝たい。そして相手にも寝かせてやりたい。ベッド一台だと、夜中に帰ってきた時など、揺らして相手を起こしてしまう可能性が格段に上がるのだ。
 この、眠りを妨げたくない、お互いへの思いやり……ただの二台のベッドが突然美しいものに見えてきたのではないだろうか。
 他にも二台あると、色々と都合がいい。例えば何らかの理由で一台汚れたら、もう一台で眠れる。何らかの理由でシーツを変えたりする体力が尽きてしまっても安心だ。この”何らかの理由”というのは各自ご自由にご想像いただきたい。多分それで大体合っている。

 それに二台とはいえ、手を伸ばせば難なく触れ合える距離である。いつでもゴロリと転がればハッピーイチャイチャパラダイスだ。
 ……と言いたいところだが、“いつでも”というのは若干の誇張と言わざるを得ない。……なんなら正直、“若干”も嘘かもしれない。
 イルカ先生が、翌日の予定や、俺の方の疲れ具合等を考えて、過剰なイチャイチャを規制しているからだ。駄目な日には、俺がゴロッとイルカの方へ転がり始めた辺りで、押し戻される。イルカ先生はブロックがすごく上手い。イルカ先生の腕が触れたと思ったら、ひっくり返され、俺は元通り自陣で仰向けになっている。何か古武術を応用していると思う。全然陣地へは攻め込ませない。鉄壁だ。ここに手練れが築いた多重土流壁があるのかな? ってくらいである。
 しかし、だからこそ招き入れて貰えた時の感動もひとしおなのだ。
 ゴロンッと何の抵抗もなく己の身体が転がっていき、イルカの横へ到着する。するとイルカはちょっと照れたような顔で笑うのである。この笑顔が全くいつまで経ってもビックリするほどかわいい。毎回絶叫しないでいるのが本当に大変だ。

 そんなかわいいイルカ先生が、自らこちらへ来てくれた時のことは、一生忘れない。
 草木は眠るが一部の忍びは眠らない丑三つ時、ようやく仕事を終えた俺は、帰宅してすぐベッドに倒れた。長年の習慣で、寝入る際は自然と、右手側のイルカ先生の方へ横向きになる。その時もいつものようにそうしたら、イルカ先生はまだ起きていた。いや寝ていたのかも分からない。ただ俺の気配に反応し、ちょうど瞼を開けたところだったのかも知れない。ともかく、言葉なくおかえり、と言うように少し目をたわませて微笑った。慣れない書類仕事の疲れが吹っ飛ぶのを感じ、俺も笑ってただいまと言った。
 イルカは満足げに笑みを深めた後、数度ゆっくりと瞬いた。今から思えば、あれは俺を待っていたのだ。俺がゴロリと転がってくるのを。
 しかし俺がそれに気付く前に、イルカが動いた。腕と脚が横に傾いた、と思った次の瞬間、イルカは一回転半して、ぽすんと、俺の胸に収まったのである。

 もし俺が横暴なワンマン火影だったなら、勢い余ってその日を“一回転半の日”として祝日に制定し、かつ前後挟んで三日間は休みにしただろう。危なかった。こんなことをしたらイルカは荷物をまとめてナルトの家にでも行ってしまうに違いない。しかし俺は何よりチームワークを大事にする教えを受けてきたので、権力を私情で用いたりしない。おかげで熟年離婚の危機を回避できたのだ。やっぱり仲間を大切にしないやつはクズだ。本当にそうだね、父さん、オビト。
 その時イルカは別に下の方も兆してなかったし、次の日も忙しいと言っていたし、ただただ触れ合いたかっただけのようだった。まともに顔も合わせられない日々が続いていたから、寂しかったんだと思う。欲望や欲求もなく、猫や幼子が甘えるように、俺の首の辺りに額を擦り付け、深呼吸をして、眠りに落ちた。
 イルカを起こさないよう心の中だけで歓喜を叫んだ後、俺も正直もうギリだったのですぐ寝た。温かい体温と良い香り、リラックス効果は絶大だ。近年稀にみる、深く質の良い、素晴らしい睡眠だった。

 このように、セックスしたりしなかったりなどして愉快に暮らしてきた。その内に、イルカが校長先生になったり、俺が火影の座を引いたりした。
 まだまだ忙しいとはいえ、一時期に比べれば格段に会える時間が増えた。イチャイチャもゆっくりじっくり楽しめる。
 この“ゆっくりじっくり”と言うのは、一晩中かけて、とかそういった意味ではない。引退後数年も経って、もう若くはないと自他ともに認めるお年頃になってからは、文字通りゆっくりするようになった。
 お互い激しくして腰をいわすのも嫌だし、すぐ終わるのも、中々終われないのも嫌だ。時折無茶をやらかしてイルカを怒らせ、二台のベッドを遠く離されたりしながら、次第にちょうど良いところを見つけていった。
 例えば繋がったまま、抱き合って話したりするのが非常に良かった。イルカもお気に入りだし、身体への負担も少なくできるので、転がっていっても昔ほどブロックされない。
 穏やかに色気なく、明日の天気だとか庭の手入れについてとか、あとはよく翌朝の味噌汁の具について話し合ったりした。
 ただ俺が庭の片隅の家庭菜園でナスを作りすぎていた頃は、「明日もナスですよナス。毎日毎日ナスナスナス! 美味しいけど!」と怒られた。イルカ先生は管理職とはいえ忍びであり、何かが起これば先頭に立って子どもたちを守らんという固い決意を持っているため、今でも鍛錬を欠かさない。若い頃と変わらぬ、磨き抜かれた括約筋による怒りの締付けに、俺の下半身のナスが危うく収穫されてしまうところだった。

 セックスとは何か。
 俺の情けない疑問から始まった、数十年にわたる俺達二人の探求は、年齢的にこれにて終了だろうか。そうだとしても悔いはない。イルカと二人、ありとあらゆることをして楽しんだのだから。
 そう思っていた俺の予想は、しかし、更に歳を重ねてから思い切り外れることとなった。これまでもそうだったように、人生はいつだって予想外なのだ。


 イルカがベッドに乗り上げて、隣に横たわる。まず枕の具合を良くしようとぐりぐりと頭を動かし、やがて満足したのか深い息を一つ吐いて四肢を投げ出した。
 俺はそれを眺めながら微笑んでいた。何十年経ってもイルカのそんな無防備な姿を見るたび笑みがこぼれてしまう。眠る姿も眺めようと、寝転んだまま少しにじり寄った。
 横顔がとっても綺麗だ、と思いながら、額にかかる黒と白の混じった髪を払う。するとイルカが身体を傾けてこちらを見た。眠るのを邪魔しないように心の中で思うだけにしたつもりが、まさか口に出してしまっていただろうか? 少し焦ったが、うるさいとも言われず、嫌がる顔を見せてもこなかったので、やっぱり口には出ていなかったと分かった。
 イルカは黙って腕を伸ばし、同じように俺の前髪をそっと後ろへ払う。そのまま、その指先は耳を掠めた。くすぐったくて笑いながらイルカに同じことをしてやると、イルカも微笑んだ。
 深く刻まれた目尻の笑い皺は、いつの頃からか笑っていない時もそのままそこに在るようになった。この世で一番美しい陰影だ。イルカは、俺の目尻もそうだと言う。二人で交互に、そこに口づける。
 二台のベッドの境界線辺りで抱き締め合ったが、お互いこれからセックスするかどうか、決めても分かってもいない。どちらでも構わなかった。だから、これから始まるのだとも、もう始まっているのだとも、触れ合うずっと前から始まっていたのだとも言える。
 パジャマに隠れていない部分の肌を指先でそっと辿り合う。少しかさついた肌の感触も分からない位の微かな接触だ。
 触れるか触れないかの境目をいったりきたりしていると、それはどちらでも同じになってくる。指先が皮膚の上を撫でる時も、浮いているだけの時も、同じだけ心地よい。
 そしてそれは、お互いの境界さえも曖昧にする。行きつくと自分か相手のどちらが触れているのか意識できなくなった。俺が触れていない場所はイルカが触れていて、イルカが触れていない場所は俺が触れている。それを続ければ、二人身体を離した時でも、触れていない場所はどこにもなくなっている気がした。
「きもちいいね」
 囁くと、イルカはゆっくりとした瞬きだけで頷いた。
 抱き締め合い、キスを繰り返す。
 きもちいい。イルカ。あいしてる。それだけが俺の持っている言語の全てになる。
 吐息だけでイルカが俺の名を呼んだ。音になっていなくても、ちゃんと聞こえる。いつだって、俺の中ではイルカの声が聞こえている。
 だんだんとイルカの動きが緩慢になっていき、やがて止まった。それからふっと二度三度、名残惜しむように食んできたが、そこに力は全くなく、ほとんど眠りの中にあることが知れた。
 俺ももう身体が動かない。指一本動かすこともただ一度瞼を開けることも叶わず、唇を微かに触れ合わせたまま、眠りに落ちていく。

 近頃のイルカ先生とのセックスは、こうして始まりと同じく、終わりも曖昧だった。
 時折は明確に終わりのある行為をすることも、あるにはある。それは昔も今も変わらず、堪らなく楽しい行為だ。
 だが大抵ゆっくり触れ合う内に途中でどちらかが寝入ってしまうとか、射精にまで至らないことも多いし、時にはそもそもどちらかが、または互いにうまく勃起しないこともある。
 かといって、感じない、という訳ではない。全力で駆け上り、破裂するような快感も確かにいいが、それとは質が全く違うのだ。微睡みの中を揺蕩うのと似ているが、他には得られない心地良さがあって、気がつくと静かな充足感がいつの間にか存在している。
 若い頃はイルカの中に受け入れてもらう度、永遠にこうしていたいと考えたものだ。そしてそれが決して叶えられないことが少し寂しかった。どんなに長引かせても終わりは必ずある。俺とイルカは二つに分かれなければいけなかった。
 今、それは、叶えられない願いだとは言えなくなってきた。
 イルカと眠りに落ちる時、俺達二人が、二つのベッドが、寝室全体が、溶け合っていくような感覚になる。温かで、澄み切った、静かな海の中にいるようだ。すると目覚めた後も、イルカを想うだけでいつでもそこに戻って来られる。分かたれることなく、ずっと繋がっていられるのだ。

 この世にこんなにも穏やかで深い快楽があるなんて、今の今まで知る由も無かった。この年になって、俺の持っていたセックスというものの概念は完膚なきまでに破壊されたと言えよう。
 こんなことはセックスと愛のバイブル、イチャパラにだって書いていなかった。今自分たちはイチャパラの向こう側にいるのだろうか。
 生きてみるもんだ。
 散々死ぬ死ぬ言って、最期のキメ顔を何度も披露してしまい、実際一回死んでもいる俺だが、しみじみとそう思う。
 カーテンのない部屋からここまで、全てが思いも寄らない変化を経た。きっとこれからも変わっていくのだろう。それが楽しみで仕方ない。

 セックスとは何か。答えはまだ出そうにない。
 イルカと共に生きる限り、答えなど出ないのかもしれない。

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