ふと視線を感じて、目が覚めた。
 瞼を上げると、誰かが俺を覗き込んでいる。窓から射す朝陽が逆光となって見えないが、もちろん間違いなくイルカだ。
「…イルカ?」
 起き上がって問う。そうしてやっと顔が見えた。イルカが俺をじっと見ている。
「どうしたの?」
「いえ……良く眠ってたので。起こすの悪いかなと思ったんです。朝飯、出来ましたよ」
 言って、イルカはいつものように明るく微笑んだ。
 俺も笑んで、「ありがとう」と言いながらベッドを降り、窓の外を見る。良く晴れていた。

 イルカの作ってくれた飯を食い、片付け、諸々身支度を済ませて、連れ立って外へ出る。静かだが明るい雰囲気の通りを並んで歩いていく。
 雲一つない真っ青な空を見ながら、こんなに良い天気なのに学校だなんて勿体ないと思った。このまま歩いて行けたら良いのに。何処までも、イルカと一緒に――
「カカシさん…?」
 いつのまにか角まで来ていたのに気付かず、空を眺めていたから、イルカが声をかけてきた。
「ああ…ごめんね。大丈夫だよ」
 慌ててイルカに追いついて角を曲がる。イルカが少し首を傾げて様子を窺うように俺を見たが、本当に大丈夫だと表現する為に、気付かない顔をして歩き続けた。
 全くイルカはいつも心配性で、俺が普段と違うことをすると不安になってしまう。朝だって、ただ安心してぐっすり眠っていただけだったのに、あんなにじっと見て、多分俺の体調が悪いのだろうかとか、そんな心配をしていたのだろう。
 俺はいつもと何も変わらないのに。仕方ないな、と苦笑しながら、学校へと向かった。

 静かで落ち着いた街中と違って、学校は賑やかだ。
 子ども達は皆、元気いっぱいに遊び回っていて、イルカと俺が到着するやいなや、挨拶もそこそこに遊びに巻き込まれた。
 ボールと笑い声が飛び交う。
 子ども達が何の苦しみも知らない無邪気さで笑い、その子達に囲まれて俺も笑った。ふと見ると、横に立つイルカと目が合う。イルカも緩く笑っていた。
 なんて平和なのだろうと、俺は思った。
 穏やかに、幸福に、何を傷つけることも、失うこともない。こんな生活もあるのだ。そう、もし俺が、元からこの街に生まれていたら、木の葉に生まれなかったら、忍びでなかったら――

――忍びでなかったら?
 不意に、衝撃が全身を駆け抜けた。
 自分が何者であったのか、そして何故それを忘れることが出来たのかという不可解さに気付いたのだ。
 本来なら俺は、ここにいるべきでない人間だった。こんな所で、子ども達と無邪気に遊んでいるなど許されない。
 一体何故、俺はここにいるのだったろう?

「俺……森へ、森へ行かなくちゃ」
 白くけぶるような思考の中で、ようやくそう答えを出した。そうだ、森へ行って、あの奇妙な結界を解いて、そして――
「カカシさん……」
 不安げなイルカの声が細く届いたけれども、振り向けなかった。

 森へ着くと、鈍った神経でもすぐに異変に気付いた。
 今まで自分のものだとしか感じ取れなかった結界に、別のチャクラが感じられるのだ。それは空気や雰囲気の違いでしかなく些細ではあったが、明らかな変異と言えた。
 写輪眼を出して、観察する。やはり、そうだった。俺のチャクラとは違う、誰かのチャクラが混ざっている。
 微量だが、間違いなく感じ取れた。
 そして何故か直観的に、そのチャクラの色や雰囲気は――イルカの気配に似ている、と思った。

「はたけ上忍」
 何時ぞやと同じように、背後からそう高い声が呼んだ。
 振り向くと、少年が立っている。僅かに背丈が伸びているような気もするが、確かにあの、イルカに似た姿をした少年だった。
「出たか。どうなってるんだ、これは」
「分からない? 見つけたんじゃないの?」
 鋭く問うた俺に対して、少年はからかうような、楽しむような声色で言った。そして冷えた空虚な目はそのままに、唇だけ歪めて笑う。
「アンタも分かった筈だ。アンタをここに閉じ込めてるのは、イルカだって」
 少年がそう言い終わると同時に、急に雨が降り始めた。あれだけ晴れていた空があっという間に一面灰色に染まり、大きな雨粒が引っ切り無しに降り注ぐ。
 雨音は余りにも大きく頭に響いて、耳を塞ぎたいような心地になった。
「だから、ここを出るにはね」
 絶句したままの俺に、やはり少年は楽しそうに言った。
「――殺せばいいんだよ、イルカを」
 騒々しい雨音の中でも、その言葉は嫌にはっきりと聞こえた。







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