目を開けると、白い天井が見えた。
それは下手すると自宅より見慣れたものだ。俺は木の葉病院のベッドに寝ていた。
チャクラ切れとはいえ程度は軽かったのだろう。幸い身体を動かせる。ベッドから起き上がり、窓から里を眺めた。
ここは、夢ではない。はっきりと分かった。思い返すと、あの街にいる間は視界や意識が、半透明の膜に覆われたように曖昧だった。目覚めてみるとその違いがよく分かる。街は実在しない。あれは夢だ。
だが問題は、単なる夢だったかどうかだ。イルカという人も実在しないのか? 俺の孤独感が生み出した都合の良い幻か? それとも見知らぬ術にかけられたのか?
その方が論理的な筈なのに、そうは思いたくなかった。あるいはそう思うことこそが、ただの俺の夢に過ぎないという証左なのだろうか。
「ーーお目覚めですね。ご気分は?」
医療忍が部屋に入ってきて言った。感じている混乱と動揺は忍びの習慣として反射的に隠し、ただ悪くないと答える。
軽い脳震盪を起こしていたから、と、頭痛や目眩の有無を確認される。確かに森で目覚めた時にはそういう症状はあったが、今はない。
ふと思いついて、ターゲット捕捉後からの記憶が曖昧だと伝えた。案の定、脳震盪の影響だろうと言われる。
「爆発があったことは覚えていますか? 後から判明しましたが、ターゲットが予め複数箇所に仕掛けていた時限式トラップでした。はたけ上忍は部隊員を庇い、爆発に巻き込まれたようです」
聞いているうち、朧気に思い出してきた。そうだ、確か直撃はからくも避けたが、爆風に吹き飛ばされて大木で頭を打ったのだ。誰かが悲痛な声で、俺の名前を呼んでいた気がする。
「……うん、思い出した。それから?」
「直後に、後方部隊から医療忍を派遣、処置を行いました。と言っても、ごく軽傷の者ばかりで、すぐに完了しましたが。はたけ上忍の現場が一番厄介でしたね。結界の解除に時間がかかりましたので」
結界という言葉に、突然心臓が跳ねる。
「結界って?」
「はたけ上忍が咄嗟に張ったものだと思われます。ただ、近くにいた部隊員も同時に発動させたので絡み合ってしまったようで、その所為で解除に時間が――」
「絡み合った……」
「続けての爆発から、互いに守り合おうとしたようです。二人が全チャクラを込めた上に、偶然相性が良かったのか、編まれたように綺麗に絡まって……かなり強い結界でした」
思い出すのはもちろん、あの街を取り囲んでいた結界のことだ。あれは正にそういう結界だった。
ならば俺が守ろうとした、そして俺を守ろうとした、というその人は、まさか。
「その人は今どこ? 生きてるよね? 名前は?」
「同じ棟に入院中の筈です。名前は……お待ち下さい、確認します」
医療忍が持っていたファイルを開き、書類を手繰る。
それを待つのは長い時間だった。確信があるような、祈るような、恐ろしいような、期待で胸が張り裂けそうだった。
やがて手が止まり、彼の口が開く。その動きが妙に遅く感じた。
「――うみのイルカ」
それを聞くやいなや、俺は病室を飛び出していた。
イルカ。
その名前だけを心で繰り返していて、後ろから何事か喚いている医療忍の声もよく聞こえない。どの病室か聞くのも煩わしく、順にドアを開けて確認していく。
幾つか開けてから、忍びの慎重さと生来の臆病さが首をもたげた――イルカが幻ではないとしても、あの街は俺だけが見た夢かもしれないだろう?
しかし、ドアを開け続けることを止められない。
ただ、あの夢は、と反論を叫ぶ自分がいた。
あの、森の中で最後に見た、短い夢。あれは、本当にあったことだ。夢なんかじゃない。
ずっと忘れていた。慰霊碑の前で、出会った黒髪の少年。涙を堪えて、笑ったあの顔。独りじゃないと、俺に語りかけてくれた優しい声。
あれは――イルカだった。間違いなく。
そう、俺は随分前に、イルカに出会っていた。何故、忘れていたのか。
思えばあの頃のことを、俺は良く思い出せなかった。
それこそ夢だったかのように、全てがおぼろげだ。任務をこなし、疲れやチャクラ切れで気絶するように眠るだけの日々だった。確かあの時もそういう状態で、結局目覚めた時には病院だったのではなかったか。
少年のことは、明け方に見た信じ難いほど美しい夢だとしか思えなかったのかもしれない。
もしもあの街が、俺が好き勝手に作り上げただけの夢だったとしても、もう関係ない。
少年は強く、優しかった。俺は、あの少年を、イルカを、尊敬し惹かれていた。
だから会いたい。もう一度、イルカに会いたいのだ。
手当たり次第にドアを開けていく。
いる、という予感はどんどん大きくなっていた。あのはっきりとした気配がするのだ。
そしてある病室の前に立った時、俺は確信し、叫んだ。
「イルカ……!」
ドアを開けるとそこには、あの街で見たそのままの姿で、イルカが眠っていた。