私には何時何処で生まれたのか記憶がない。
気がついた時には、主人の式として存在していた。
主人が印を一つ結べば、私は赤い鳥となってしかるべき所へ主人の言葉を届けに行くことになっている。
だが私は元は只の物体である。
余りにも長いこと主人の元で式として力を与えられていた為に、ヒトで言うところの心とか魂とかいうものを持ってしまった。私は何時か何処かで物として生まれ、そしてもう一度生まれたのだ。
物だった頃のことはほとんど思い出せない。おぼろげに同じような外見の物たちと共に在ったような気がする。とはいえ私は己がどのような外見をしているものか、見たことがないので分からない。分かるのは主人の胸の物入れの隙間に入れておけるほど、小さく薄く軽いということだ。そのおかげで、私は主人の重荷となることがなく助かっている。
主人の元に渡って来てからは、常に主人の傍に置かれた。片時も離されることはない。式として使役され、ほとぼりが冷めた後、回収までされる。
普通の式はそんなことはない。主人は普段はそこらにある只の紙を用いる。私の時より二つ三つほど印を増やせば、私と同じように言葉を届けられるのだ。紙は一度きりしか飛ばず、しかるべき所へ届いた後は燃え尽きるようにされている、使い捨てである。その紙で済むのであれば、面倒がなく、それに越したことはない。
それでいて、私が使われる理由は、印が一つで済むということとチャクラをその都度必要としないところにある。
つまり少々のチャクラを練ることも、印がたった二つ三つ増えることさえ難儀するような状況で、私は使われるのだ。すなわち死が近づいている時である。
主人は非常に力ある忍びであり、そのような状況になることは滅多にない。
チャクラを与えられ、式として傍に置かれるようになってから、たった一度だけしか私は赤い鳥に姿を変えたことがない。その時も、主人は命を落とすことがなく、結局私は目的地へ飛ぶ途中で主人の命により、翼を止めることとなった。
一度発動されてしまった私が戻るには主人の解印を必要とする。赤い鳥の姿で枝に留り、主人に回収されるのを待った。式である私は出所を割らせない為に、主人の居所が分からないようになっているので、そうして貰わなければ主人の元へは帰れないのだ。
主人が回収に来てくれた時のことを、私は忘れない。主人は負った怪我の手当を終えたばかりのようで、閉じ切らない傷の上の白い包帯に血が滲んでいた。主人は私を見つけるとほっとしたように息を吐くと、解印を結んだ。鳥から物の姿へと戻った私を、主人は大きな手でそっと包んだ。
主人はいつも、恋人でも愛撫するような優しい手つきで私に触れた。偶然かもしれないが、時折、私が潜む物入れを手で抑え、胸に押し付けるように触れることもある。私がいつか誰かに伝えるべき言葉も何度か書き換えられることがあったが、その何れの時も、一文字一文字確かめるように、心を込めて書かれた。
忍びであるのなら、死す時、その遺骸を利用されぬように、その旨を里の者に伝えなくてはならない。しかし、その時の為に用意されている筈の私の扱いは、どうも、そんな義務的なものとは思えなかった。
主人が私に触れる手や書かれる文字は温かく、そして、死してなおそれを遺そうとする激しい執着のようなものが感じられたのである。
私は、主人のその心を大事に守りながらも、胸が痛むような心地がした。式として主人の為に生まれたというのに、一生私が使われることがなければ良いと祈った。
しかし、祈りもむなしく、私は再び赤い鳥へと姿を変える時が来てしまった。
主人の様子は尋常ではなかった。私はもはや前回のように途中で呼び戻される奇跡は起こらないだろうと覚悟した。
私は懸命に飛んだ。
主人が走る足よりも早く、主人が裂く雷のように、私は飛んだ。
主人がどれ程、この先にいる誰かに、この言葉を伝えたいか、私は知っていた。
主人の比類ないほど温かく、痛ましいほど切実で、忍びとして醜悪なほどの執着を、届ける為に飛んだ。
やがてある一軒の家へ着いた。
私は窓を赤い嘴で叩いた。窓が開けられたので私はその中へ入り込む。
中には一人の男がいた。この男こそが、主人の最期の言葉を受け取る人であった。
男の驚く顔を見て、私は一瞬、使命を忘れて呆然とした。
私は唐突に思い出したのだ。
――昔、私はこの男の元にいた。
私が物として生まれた場所は神社だった。
同じ外見の兄弟たちと共に、この男の手で運ばれた。
私は主人の所へ、そして兄弟は三人の子ども達に渡された。
私は赤い糸で編まれた守り札であったのだ。
私はこの男の祈りをおぼろげながらも思い出した。
男は私を握り締めて祈った。
主人の為に何もできないことを嘆き、だが主人の無事を誰よりも願っていた。
男は主人の最期を受け取るに相応しく、また最も相応しくない人であった。
あれ程祈る人ならば、主人の死を、自分の死よりも苦痛と感じるであろう。
私は胸が痛んだが、主人の切実な手を思い出し、すぐに主人の言葉を男に伝える。
主人が丁寧に、心を込めて書いた言葉は極短かった。
ただ――『愛している』という、それだけであった。
私は、私が式の依代とされた意味を知った。主人の優しい手の意味を知った。
主人は私を通して男を見、男を触れるように私に触れていたのだ。
主人が己の最期を伝え、刻み、その心に残ることを執着した想いを託すのに、男から渡された私以外に適任はなかったのだ。
私は使命を終え、赤い鳥の姿から、守り札へと戻った。
男は私の姿を見て激しく泣いた。
私はそれを見て、主人が死して男の心を縛るよう、私を飛ばしたのだと気付いた。
主人は男が心から祈って渡してくれた私を利用し、私という依代によって男が主人を忘れないよう、まるで呪うように、私を遣わしたのだ。死と執着を届ける存在として生まれさせ、守り札として生まれた私の生を踏み躙ったのだった。
私は二度生まれた短い生の中で、初めて、主人を酷い人だと思った。
これじゃあんまりなので
→それから