※個人の感想です


 イルカ先生はお金を払うと誰の家にでも来てくれるらしい。

 それは、俺のお気に入り読書スポットである、大樹の枝の上でのことだ。
よく晴れた、うららかな午後だった。俺は温かな陽の光に眠気を誘われながら、イチャパラをぼんやりと眺めていた。
 すると、二人の女性がやって来て、樹の下のベンチに座り、お喋りを始めた。場所を変えるか迷ったが、半ばほど眠っている状態だった俺は、移動も面倒だと居座ることに決めた。
 幸い、それほど煩くもなかった。木漏れ日の中、穏やかな風が吹き、さらさらと葉が揺れる。楽しげな彼女たちの高い声は、小さな鳥の鳴き声のようだった。
 平和だ。俺は夢見心地でイチャパラを閉じる。一眠り、と目を閉じようとした。
 その時、突然全ての平穏が崩れ去る。
 不意に、想い人の名前が聞こえてきたのである。
「そういえば、この前イルカ先生買ってさ! やっとうちに来てくれたの!」

 木から落ちるかと思った。
 というかほぼ落ちた。今俺は足一本で木から逆さまにぶら下がっている状態だ。落ちていく最中、運良く足裏をチャクラで固定できた為である。これは地面に落ちなかった、というだけで、枝からは落ちていると言える。
 無様だ。いやでもそりゃ上忍も木から落ちるでしょ、想い人が金で買われたと聞けば。

「へーけっこう買った子多いよね」
 ハァ? しかも多数の人間が? 買っただと?
 チャクラが乱れて今度こそ落ちそうになったので、慌てて枝に乗り上がって体勢を整えた。
 動揺しまくる俺に比べて、彼女たちは、「そうそう〜」「ね〜」と至極冷静に、意味のない間延びした相槌を打ち合っている。
「あ、ちなみに幾らくらいだっけ?」
 よし、よく聞いた。俺もそれが気になって気になって、今にも話しかけてしまうところだったのだ。
 女は首を傾げ、考える様子を見せた。焦らすようなその時間に、な、なんと! 今なら! と煽る通販番組が思い浮かぶ。きっとすごく…お高いんでしょう? 俺は固唾を呑んで、女の返事を待った。

「えっと――250両くらいだったかな」
「えー思ったより安ーい」
 いや違うでしょ、そのリアクション。テンションが低すぎる。もっと驚いて。嘘だとツッコんで。せめて安い安ぅ〜い! と叫んで転げ回るべきだ。俺ならそうする。
そのくらい、安い。どう考えても安すぎる。かと言って幾らなら妥当なのかと言われると困るが。とにかく安いことは確かだ。
 全然気が付かなかったけど、そんなはした金で身を売るほど、イルカ先生は金に困っているのだろうか。
 言ってくれたら幾らでもあげるのに。手の平を出してくれたら、載せられるだけ札束載せてあげたい。なんだったら通帳と印鑑を持ってくる。いっそ直接会ってくれなくても、式で現金送れって言われたら送っちゃうだろう。

 俺が今すぐ動かせる金について考えている内にも、会話は進んでいく。
女はそうだ、と思いついたようにバッグを漁り始めた。そして何やら小さな紙束を取り出す。
「もうすごいかわいくて写真いっぱい撮っちゃったの〜」
 俺は悲鳴を押し殺すために、両手で口を覆った。
 写真に…?! 撮った……?! なんだそれは。えっちすぎる。えっちすぎるだろう!
 先程まで小さな鳥だとか思っていた相手が、今は恐ろしくて堪らない。
 だってこの女は金で買った男を家に呼びつけ、好き勝手したばかりか、あまつさえそれを写真に残して自慢気に人に披露しようというのだ。たった250両で。信じられない。鬼畜の所業だ。
 小さく震える俺を残し、女は写真をもう一人の女へと手渡す。
 そして見た途端、女は言った。
「え〜かわい〜!」
 かわい〜! じゃない。さっきからこの女のリアクションは間違っている。
 いやイルカ先生がかわいいのは正しいけど。れっきとした事実だけど。
 今の問題はそこじゃない。友達なら、鬼畜の所業を諌めてやるべきだ。しかしそいつは一緒になって、イルカ先生のあられもない姿が写っているであろう写真をキャッキャと楽しそうに眺めていた。鬼畜の友もまた鬼畜か……。
 女たちは、この顔がかわいい…とか、お手々が…とか、健康的な肌色が…とか、ボディがちょっとムッチリ…とか、イルカ先生の写真を見ながら、赤裸々に語り合っている。
とてもじゃないが、真っ昼間の道端で話すようなことではない。いい加減にしろ、この鬼畜共!
 俺はあまりの所業に女たちから目をそむけ、心の中で力いっぱい罵る。

 が、しかしその実チラッチラッと目線を送ってしまうのを止められていなかった。
 正直に言う。見たい。とても見たい。イルカ先生のえっちな写真を。
 そうだ。俺に人を鬼畜とののしる資格はない…! 俺は…クズだ……!
 開き直って、首を精一杯伸ばしてみたり、写輪眼を出してみたりしたが、角度的にどうしても見えない。
 枝の上で大分動き回ったので、木がゆっさゆっさと派手に揺れていたと思う。
 だが女たちは気付いていない。話に夢中なのだ。

 イルカ先生を買った女は、今やものすごい勢いで自慢し始めていた。
 生活にハリが出た。きゅーおーえるが上がった。笑顔が増えた。部屋が綺麗になった。しつこい肩こりが治った。素敵な彼氏ができた。雨が上がり、雲が切れ、陽が射した。
 などなど……出るわ出るわ、イルカ先生を買ったことで、こんなに良いことがありました! と女は自らの体験談を嬉々として語った。
 高額な壺や水やブレスレットを買うと得られる効能みたいだ。怪しいにも程がある。
 しかしこれは、邪魔な壺やただの水の話ではない。イルカ先生のことだ。そんな効果があってもおかしくないんじゃないか? なんたってイルカ先生なのだから。
 聞いていた方の女も同じようなことを考えているのか、じっと写真を見る瞳孔がバッカバカに開いていく。
 しばらくして女は、興奮した様子で呟いた。
「……あたしもイルカ先生買うわ。そんでおうち作ってあげて、いろんな服着せちゃう」
 こいつ…! 先生を囲う気だ…!
 俺は瞬時に、勢いよく跳躍してその場を去った。
 こうしちゃいられない。あの女より先にイルカ先生を買いに行かなければ……!

 確か今の時間だと、イルカ先生は受付にいる筈だ。ちなみに何故それを俺がしっかり把握しているのかはどうか察して欲しい。
 俺は途中で商店に寄って、買ったポチ袋に250両を入れた。
 はした金と言えど、現ナマぽろんはマズイだろう。品がない。まぁ好きな人を金で買おうとしている奴など、品がどうのと言えた立場ではないのだが。
 ともかく急いで受付に向かい、先生の列に並んだ。
 周りの奴らが全員ライバルに見えてしまう。が、手に持っているのは皆、報告書のようだ。財布や現ナマやポチ袋ではない。ほっとして自分の番が来るのを大人しく待った。

「あれ、カカシさん! 今日って任務ありましたっけ?」
 俺が近づくと、イルカ先生は元気な声で話しかけてくれた。
 弾ける笑顔が今日も眩しい。眩しすぎて、普段から眠そうと言われる俺の目は、いつもの三割増で半目になってしまい、ほぼ開いていない。不審者だ。
 そんな俺にも、イルカ先生はニコニコと天使の笑顔で相対してくれる。
 この顔を見ると、いつも俺は素直におしゃべりできなくなってしまう。その所為で、関係は進展せず、ずっと俺の片想い。今日は特に、この天使を金で買うという罪悪感に押しつぶされそうで、より一層言葉が出てこない。
 だが今ばかりはそんな情けない俺でいることは出来ないのだ。
 言うぞ。言え。言うんだ。ちんたらしていたら別の奴が先生を買ってしまうぞ! あんな鬼畜に買われる前に、俺が買って、優しく……いや、違う、こんなことは止めてくれるよう説得したいだけだ! そうだ、決して邪な目論見などない!
 俺は必死に己を励ました。
 無言の俺を、イルカ先生は不思議そうにしながらも、じっと待っていてくれる。かわいい。
 天使が背を押してくれた気になって勇気が出た。まずはおもむろにポチ袋を差し出すことに成功する。そしてここまできたら言うしかなかった。腹を決めて、唇を開く。
 カラッカラの口から、やっとのことで小さな声が出た。
「…俺も、貴方を買いたいんですが……」


 その時の俺はまだ知らなかった――彼女たちが話していたのは、イルカ先生のぬいぐるみについてであったということを。

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