「絞め殺されても、目をさまさないの?」
「と思います。」
「無理心中にはあつらえ向きだね。」
「おひとりで自殺なさるのがおさびしい時にはどうぞ。」
「自殺するよりももっとさびしい時には……?」
(川端康成「眠れる美女」)
良いところがある、と教えられて行った先には、男が一人眠っていた。
「起こそうなどとはお考えにならないで下さい。決して目覚めたりいたしません。信用できる方にだけいらして頂いておりますから、こちらも安心して眠らせておけます」
その森の中の奇妙な小屋で、迎え入れてくれた黒髪の女は言った。信用とやらを無理やり押し付けるような口調であった。
それを聞いたカカシはむしろこちらが相手を信用できないと警戒心を持ったのだが、どうも相対して見ると、黒髪の女は忍びであるようだった。そのような気配があったのだ。しかしくの一の、あまからい匂いが立ち込めるような独特な雰囲気はない。瞳に理性とプライドと少々の迷いと後悔が見て取れるところからすると、恐らく医療忍なのであろうと思った。
「良く眠っております」
女は言い、ちらりと、誰かが眠っているらしい隣室に繋がるドアに目をやってから、理解したかを確かめるようにカカシを見つめた。その物言いや眼差しも、医者がよくある病気にかかった患者に病状を説明するような、冷静で義務的で、有無を言わせない迫力があった。
カカシは、ここを良いところ、と表現した鳥面に、詳しいことを何も聞いていなかった。良くある娼館の類であろうと思っていたし、実際金を払って誰かの一夜を買う場所には違いないようなのだが、聞けばその相手は「眠っている」と言うし、眠らせているのは医療忍だ。どうにもちぐはぐな印象である。もしかしたらまず前提が勘違いであるのかもしれなかった。
しかし今更ここはどういうところなのか聞くには遅く、そして好奇心が大きくなり過ぎていた。もしも今余計なことを言えば、“信用できる方”から外れてしまうかもしれない。だからカカシはただ黙って頷いた。成り行きをもう少し見ていたかったのだ。
そうして通されたドアの向こうは、四畳程の狭い部屋で、物がないので部屋のどの地点にいても、死角が全くない。唯一ある寝台もロータイプで誰かが隠れたり、何かを隠したりする場所のないものだ。部屋全体に結界も張ってある。カカシは一通り観察し、警戒心の強い忍びのために用意された部屋なのだろうと思った。
そおと、眠る男に近寄り、他に場所もないので寝台に腰を下ろす。微かに軋むような音がしたが、男は目覚めない。念の為いつでも応戦できるよう、部屋に入ってからずっとクナイに手を触れていたが、その必要はないようだった。
若い男である。二十になるかならないかというところだろう。かと言って陰間にいそうな華奢な少年というのではない。髪は肩にかかるほどに長かったが、男らしい、骨格のしっかりとした精悍な顔つきをしている。
良く見ると、薄い掛け布一枚の下はどうやら何も身に着けてはいないようであった。脂肪の少ない、薄い筋肉と骨の自然な円みを持つ肩が飛び出ている。今季節は春の初めで、晩はまだ冷えるのだが、多少の寒さはその深い眠りに何の影響も及ぼさないらしい。あの医療忍の女が言ったように、男は本当に深く眠りこんでいる。
「ねぇ、あんた」
カカシは小声で呼びかけてみた。起こそうとするな、と言われたことなど気にしなかった。カカシのことを“信用できる”などと見誤ったのが悪いのだ。
「起きないの?」
言いながら今度は肩を緩く揺さ振った。何度か繰り返し、最後は肩から引っ張られた頭がかくりかくりと左右に揺れるほど強くした。そしてもう一度呼びかけたが、男は目覚めないどころか、何の反応もしなかった。カカシが黙れば、結界が張られていることもあり、辺りは静まり返る。
おかしなところだ、とカカシはひとりごちた。状況は明らかに見慣れた遊郭の一室に似通っているのに、中身はまるで違う。
まず相手が男であることが奇妙である。男色は、正直に言って伝統的な性癖と言えるが、それでもどうせ商売人を買うのなら女の方が良いと思うのが大多数だ。しかもその相手は深く眠って反応さえしない。もちろん、意識のない人間相手に好きに振る舞うことを望む悪癖を持つ者もこの世にはいる。だが、ここはそういう者に対して用意された訳ではないようである。それならそれで、それなりの雰囲気や用具があってしかるべきなのに、ここは違う。漂う空気も、寝台も、相手である男も、余りに素っ気ないのだ。
ここを紹介してくれた鳥面は、良く眠れる、と言っていた。
「それはよぅく眠れるさ。まるで死んだようにね」
どこか 面白そうな声で言い、鳥面の下の素顔で少し笑ったようだった。
その時は、カカシはそこが娼館だと思っていたので、下世話な笑いであると決めつけていたが、今思えばどうやら違うらしい。
ここは本当に、ただ眠る場所なのだろう。
この深く眠らされた人間も、客が好きに犯すためではなく、完璧に安全な人肌を提供するためにいるのだ。
奇妙な話だが、カカシは何故かそう確信した。
そうすると、少し眠ってみようかという気になった。
夜明けまで間もないであろうが、部屋は異様なほど暗い。窓には、どのように染めたものか、見たこともないほど濃い藍色の厚いカーテンがかけられていた。日が昇っても夜がいつまでも続いているように思わせてくれるだろう。
カカシは寝台の空いたスペースに横たわった。額あても口布も取らず、着衣のまま、掛け布の中にも入らない、落ち着くには程遠い格好であったが、まるで用意されていたみたいにあっけなく眠りに入った。
然程深くはない眠りであったので、隣で眠る男の高い体温を掛け布越しに感じ続けていた。
→第2夜