※2012夏映画設定で、あの世界にイルカ先生がいたら。という話。
※何かいろいろ捏造甚だしいです。信じないでください。
何処かにいる。
それは確信として分かっていた。だがその距離は測れない。匂いも気配も薄い。風が強すぎた。盛大な葉擦れだけが森を支配している。
そこへ遠く獣の声が貫いた。
これは葉擦れや耳鳴りではない。そう思うと同時に、左耳につけたイヤホンから大声がした。
「見つかったぞ!」
俺は咄嗟にまず、受信機に手をやって音量を下げた。全く、元からかなり下げておいたのに。
「南南東、ポイントBだな!」
「分かってる。お前のが近い、早く行けよ」
「なんだなんだ、そのやる気のなさは! そんなんじゃ逃げられてしまうぞ!」
「お前こそ、声がでかいんだよ。丸聞こえだ、もう逃げられてる」
「よし! 追うぞ!」
言い合いながら移動する内に、イヤホンからよりも肉声の方が大きくなっている。相変わらず煩い男だ。
「俺が回り込むから、お前はまっすぐ――なんだ?」
ターゲットに聞かれないように小声で指示を出した所で、イヤホンに雑音が混じった。
同時に、近くにいた筈の、あいつの大声も暑苦しい気配もなくなっていることに気付く。
「おい、聞こえるか? どこだ?」
受信音量を最大まで上げる。だが、もう何も聞こえない。何の気配もない。
はっと、顔を上げると、周りは全て白い光に包まれていた。何事かと考える前に思わず目を瞑る。
眩しい――
*
呼ばれている。それで目が覚めた。誰かが、俺の名前を呼んでいる。
「――ルカ! イルカ!」
煩かった。耳元で張り上げられている声は、いつも通りあいつの――カカシの声だ。
「煩い……煩いんだよ、お前はいつも」
俺は起き上がりながら言った。そうしてみて気が付いたのは、カカシに抱きかかえられていることだった。背中や腕に、カカシの体温がある。
何すんだ、と文句を言いかけると、その前にカカシにぐっと抱き寄せられた。両腕がきつく巻き付いて、全身を包む。
「良かった……」
聞き慣れた声が、聞いたことのない、深い、感情を表す。俺は呆然と、頬に、カカシの銀色の髪がかかるのを見た。
カカシが僅か身体を離す。まっすぐな視線はいつも通りなのに、その目はやはり見慣れない、何かがあった。
「どうして、こんな所に? 何があったの?」
「どうして、って……」
お前と任務に出てたんじゃないか、と言いかけて、迷った。
――こいつは誰だ。
直感で、そう感じる。
「髪も、どうして? こんなに短くなって……いつ切ったの?」
カカシは訊きながら、くすぐるように俺の襟足の髪を弄った。
触られ慣れることなど決してない、首筋がぞわりと粟立つ。
俺は、髪を長くしたことはない。いつも、肩や耳にかからないように短く保っている。伸びてくると、どうも鬱陶しい。思いがけず戦場で伸びてしまったような時も、自分でクナイで切った位だ。
だから、いつ切ったも何もない筈なのに。
「何を言ってるんだ、カカシ……」
俺は動揺を隠しながらも、抱き締められていた腕から逃れて立ち上がる。急に立ったせいか、眩暈がした。
「イルカ先生……? 」
カカシが首を傾げて、呟いている。
先生、と言ったか? 何故、俺を先生と呼ぶのだろう?
「なんで……カカシ、どうして……」
頭が痛む。きっと何処かでぶつけたのだ。一体何処で? ……どうして?
考えていると、よろけた俺をカカシがまた抱き締めてきた。
振り解けない。温かい、と思った。
*
どうやらこの世界は、俺の知っていた世界とは少し違うらしい。
カカシに抱えられて戻った里は、まず顔岩が違った。ここでは四代目の場所に、ミナトさんが彫ってある。有り得ない。俺の知っている彼は、実力はあるけど、上には立ちたがらない人だ。
ここでは、ガイは熱血で、シズネさんは穏やか、綱手様は豪快だった。顔は同じなのに、皆、どこか違う。
だが、この世界にとっては、俺の方がおかしいようだ。
俺を記憶障害だと思ったカカシに、綱手様の所へ連れて行かれて、それが分かった。この世界に今、うみのイルカは二人いる。俺以外に、髪が長くて、先生と呼ばれている、うみのイルカがいるらしい。
そして、そっちのイルカがこの世界では正常であり、俺の方が、いわば異端者だった。
拘束され、徹底的に調べ上げられた。俺は抵抗もしなかった。不安もない。
これが幻術による他里の罠だったとしても、俺には左肩に暗部の呪印があった。無理に情報を引き出されそうになれば、術が発動して俺は灰も残らず消滅する。木の葉の害となることがないなら、恐れることは何もない。
だが、身体検査、チャクラ検査、いのいちさんの記憶探査を受けても、術は発動しなかった。この呪印を解けるのは木の葉の上層部だけだ。大した情報は引き出されなかったのか、まさか呪印を無効化する方法が開発されてしまったのか、それとも――。
「疲れた?」
カカシが、考え込んでいる俺の顔を覗き込んできた。
写輪眼が俺を見通そうとしている。カカシは検査について回り、その眼でずっと俺を見ていた。監視だと、理解している。だがそこには何故か、敵意も疑惑も感じなかった。
「今日はこれで終わりだから。これに着替えて」
真新しい支給服を差し出される。
カカシのその声も所作も落ちつきがあり、隙がなかった。ここは俺の知っているものとは色々ずれているが、カカシが一番違うと思った。俺の知っているカカシはもちろん弱い忍者ではないが、ただ声がでかくて熱血で暑苦しく、鬱陶しくて煩わしい奴だ。
それがこうして声を潜め、影のように佇んでいると、触れずとも切れるような凄味がある。そして、その緊張感が心地よかった。
「あんた、任務じゃなかったのか」
俺を森から連れ帰った時の装備の様子から、当たりをつけて聞いてみる。
カカシは一つ頷いてから「他に回してもらった」とだけ答えた。何故とも聞かない。意図を読んで、相応しい答えをくれる。冷静で、無駄がない。
「他の奴には任せたくないからね。あなたが、イルカ先生の分身かも知れない以上は」
カカシが言うのを聞いて、成程そういう仮説が出ているのか、と思う。有り難かった。調査対象である俺には情報は何一つ入って来ないのだ。
しかしカカシは口を滑らせたのではないだろう。この優れた忍びが、そんなことは絶対にしない。俺の反応を見たかったのか、それとも――俺を安心させたかったか。
馬鹿な考えだ。だが、そうなのだろう、という思いが拭えない。目や言葉に、そう感じさせる何かがあった。
このおかしな世界で目が覚めた時、俺を抱いていたカカシの腕を思い出す。大事そうに、包んでいた。聞いたこともない声で、“イルカ先生”と、呼んだ。
「イルカセンセイ、とは……どんな関係なんだ、カカシ」
勝手に、口から出ていた。自分の言葉に戸惑う。
カカシは、動揺しなかった。
「……そういう関係、だよ」
と、静かに言い、凪いだ目を細め、僅かに笑った。
分かっているだろう、と笑っているのだ。
そうだ。カカシは、“うみのイルカ”を大切に想い、甘い声で呼び、優しく抱きしめるのだ。それを何と言うのか、確かに、俺は分かっていた。
それがはっきりと分かっても、不思議と嫌悪は湧かない。同性だとか、よりによってあのカカシと、だとか、どうでも良かった。
ただ、世界が違っても、話し方や雰囲気が違っても、カカシはカカシだと、うみのイルカの味方なんだと思った。それが、嬉しかった。
「そうか」
ふっと、笑みが零れる。カカシもより一層に目を細めた。笑っている。口布の下の表情が、俺には分かった。
安心して、背中を向けた。
パッキングされた着替えの封を破る。見慣れた支給服だが、装備は何も入っていない。心もとなさはあるが、仕方ないと諦めて、一旦それを置いた。
検査中に着ていた病院着の紐を解き、脱ぎ捨てる。
その時、カカシの気配が、異様に濃くなった。
「カカシ? なに……」
振り返ろうとして、息を呑んだ。触れる程すぐ近くに、カカシがいた。
他人に、これ程あっさりと背後を取らせたことも、無意味に接近させたこともない。心拍が跳ね上がり、身体が固く強張る。無防備な背を晒している、忍びとしての恐怖、そして極単純な、緊張だった。カカシが、俺に触れようとしている。
腕が伸ばされるのが見えた。反射的に避けようとして、耐える。長い一瞬だった。この時間があれば、逃げることはもちろん、相手を殺すことだって出来るのだ。染みついた忍びとしての反射は、為すよりも抑える方がエネルギーが要る。
冷たい指先が触れた。俺は無様にも、肩を揺らした。
カカシの指は背の、ちょうど真ん中辺りにある。そこを、カカシはそっと、撫でた。信じ難い程、優しい接触。
耐え切れなかった。
「何なんだ、カカシ!」
腕を叩き落とすように払い、振り返った。
カカシは首を傾げ、「傷が……」と言う。
「傷?」
「背中の、傷が無い」
「何だって?」
当然あるのを前提としたような口振りが、侮辱と感じた。俺は背中に傷を受ける程、未熟でも、臆病でもない。
カカシなら、それ位分かるだろう、と思った。こいつ程腕の立つ忍びなら、背に傷を受けるような真似はすまい。俺と同じで、それに誇りを持っている筈だ。
「背中に傷なんか、俺には無い。あんたにも無いだろう、きっと」
俺が言うと、カカシは明らかな動揺を見せた。はっとしたように息を呑んでから、一歩後ろに引く。
そして黙って、俺をじっと見た。それは透明で、凍るような目だった。
急に、今までにはない壁を感じた。一体何だ、と苛つく。
傷がないのがいけないことだとでも言うのか――そう訊こうとして、気付いた。
きっとカカシにとっては、傷があることの方が普通なのだ。だから、無いことに疑問を感じた。つまり、こいつの知るうみのイルカには、傷があるのだろう。多分、背中の真ん中辺りに。
不快だった。
敵に背を向け逃げた臆病者、逃げざるを得ない実力しか無い、弱い忍び。不快だ。それが“うみのイルカ”として存在しているとは、不快極まりない。しかも、そんな不名誉な傷をカカシは愛でている、多分。慣れた、躊躇のない指だった。きっといつも、あの指で、あんなに優しく撫でているのだ、さっき俺にしたように――。
何もかも、不快だった。ただ不快だった。
「……“イルカセンセイ”は、随分弱いらしいな」
鼻で笑って、カカシを見やる。
カカシは、それこそ傷付いたような、裏切られたと言いたげな顔をした。そして「違う」と低い声で言った。
「あの人は強い。俺たちよりもずっと」
何が強いと言うのだろう。俺の方が強い、俺たちの方が強い。俺は、弱くなんかない。
俺の苛つきは頂点に達し、敵に対するようにカカシを睨み付けた。
カカシは、静かな目で俺を眺めていた。
そしてしばらくすると、「そうだ、違うんだな……」と呟いた。
「違う?」
「どんなに遺伝子やチャクラが同じでも、絶対に違う」
何を言っているのか、分からない。だが何故か、聞きたくない、と思った。
カカシは俺の様子には構わず、冷えた声で言った。
「あんたは、うみのイルカじゃない」
「なら……」
俺は一体何なんだ、カカシ。お前に、そう言われたら、俺は――
そう口に出そうとして、慌てて唇を噛んだ。
何ということを言おうとしたのだろう。縋るようじゃないか。まるで寄る辺ない子どものようだ。
冷静になって考えると、いつの間にか、この奇妙な世界に自分を重ね合わせていたことに気付く。
左肩の呪印が発動しなかったのも、ここが木の葉だからだ、という可能性を捨てられなかった。なんとはなしに、ここは木の葉で、こいつはカカシだと思っていたのだ。多少の違いがあっても、何故か、自然にそう思えていた。
でも、これはカカシじゃない。そしてカカシにとって、俺はイルカじゃない。だから、俺はカカシにああやって優しい指で触れられることもない。それが、正しいのだ。
分かっていた筈だ。
これは、俺の知っているカカシじゃない。だから、こいつに否定されても、拒絶されても、痛くなどないのだ――俺はそう何度も、自分に言い聞かせていた。