※この間に、平行世界(ということにしておこう!ね!)だと判明して、カカシがイルカ先生の背中の傷について語ったり、二人の親密な様子をイルカが見ちゃったりなんだりする。……けど、いきなりすっ飛んで、イルカ先生との会話へ!
「俺が暗部かぁ。すごいなぁ」
“イルカセンセイ”が、気の抜けきった声で言う。
俺は、別にお前が暗部な訳じゃない、何が凄いのか、と言おうとして黙った。
黙っている俺に、呑気なイルカセンセイは、くだらないことばかり訊いてくる。アカデミーはどんな様子か、一楽というラーメン屋はあるか……。それが一体何だと言うのだろう。そこがどういう様子であろうと、こいつはその世界に行くこともないのだから、訊いても仕方がない。どうでもいいことだ。同じ『うみのイルカ』だというのに何故、それが分からないのかと、苛々した。
その内、こちらでは四代目が春野様ではなくミナトさんだという話になって、俺はやっと興味を持った。トップが変われば、方針が変わり、個々の忍びや術にも影響は出る。その違いを知って、何かに活かせないか、検討したかった。これこそ、違う動き方をしている世界を知ることの、最も有益な点だろう。
だがその話はすぐに終わり、「なら、ナルトは」と尋ねられる。うんざりしながらも応えたのは、鍛えた忍耐のおかげであり、単なる興味のせいもあった。ナルトとは、聞き慣れない名前だ。
「ナルト?」
「ミナト様の息子で、その、九尾の――」
そこで、センセイは言い淀んだ。真っ直ぐ俺を見ていた目を逸らし、恐れるように迷うように唇を震わせる。その先をどうしても言えないようだった。
だが九尾と、言われればすぐに分かる。ミナトさんの息子で、九尾の人柱力は。
「――メンマか」
「メンマ!」
センセイは、何が可笑しいのか、声を上げて笑った。大口を開け、腹を抱え、全身を動かして笑う。笑いとはこんなに激しいものだったろうかと戸惑う程だった。
「それで、その……メンマ、はどんな様子で? 元気でやってるのか?」
しばらく待つと、まだ頬を痙攣させるようにして笑いながら訊いてくる。
当然のように訊かれたが、俺はメンマの様子など知らなかった。ただの、里の子どもの一人だ。個人的に話したこともない。以前、人柱力の監視という任務に当たったことはあるが、接点と言えばそれだけだった。言えることは何もない。
「どんな、と言われてもな。腹の九尾は大人しくしているようだ。本人のことは良く知らない。まぁ……普通だろう」
「普通……そうか、普通か。はは……そうか」
センセイは先程とは打って変わって、抑えた、静かな笑みを浮かべた。そして二つ三つ、メンマの母親や住まいについて訊くと、それきり黙った。
沈黙が落ちる。
どうかしたのか、と目をやって、その時初めて、俺は彼の顔をきちんと見た。はっとした。
ちょうど彼の目から、ぱたり、と涙が零れる所だった。
その透明な一粒が落ちて行くのを、呆然と眺める。こんなに静かに泣く人間など見たことが無かった。いや、俺はもしかしたら人の涙を見たこと自体、無いかも知れない。
彼は、それから数粒だけ涙を落とし、優しい声で呟いた。
「ご両親がいて、“普通に”暮らしてるんだな……良かった……」
そして、唇を震わせながら、笑った。それは、嬉しそうに。
何故だ、と思った。
何故、そんなことで泣くのか。何故、そんな顔で笑えるのか。
彼にとって、メンマは赤の他人だ。彼が命をかけて守ったという、こちらの世界の九尾の人柱力とは違う。メンマの方は、“イルカ先生”を知らず、必要ともしていない。
それでも、その子どもを想って泣くなんて、笑って喜ぶなんて。
「どうして――」
知らず、言葉になっていた。
イルカセンセイは俺の声に、はっと背筋を伸ばした。
見る見る内に顔が真っ赤に染まる。
「す、すまん! こんな、見っとも無い……」
頬の涙を拭きとろうとしたのか、慌てて上げた腕がテーブルに引っかかった。置いてあった湯呑が倒れ、零れた茶が彼の上着を濡らす。
「ああ……」
彼は溜息を零し、がっくりと項垂れてから、テーブルを拭いた。そうしながら、俺に、「濡れなかったか」とすまなそうに言う。
忍びらしくない行動ばかり目の前で繰り返されて、俺は返事も出来なかった。涙も、油断しきった振る舞いも、一目でどういう思いであるか分かる表情も、見慣れない、不可解なものだった。
黙ったまま見ていると、彼は濡れた服を変えると言って隣室へ移った。そして、何の警戒も疑いもなく、俺に背中を向けて、服を脱ぐ。その下に、鎖帷子や暗器の類は無い。すぐ素肌だった。
傷が、見える。背のちょうど真ん中の辺り。引き攣れて抉れ、他の部分とは明らかに色が違う。生々しい、肉の色だった。
あれが、仇をかばったという傷か。無防備に敵に背を向け、命を投げ出してひとを守った痕。誰かを命がけで愛した、証。
予想したよりも大きな、酷い、醜い傷だ。
しかし、それはとても、誇らしげに見えた。そして俺はそれが――心底、羨ましいと思った。
立ち上がり、彼の後ろに立つ。
「ん? どうした?」
彼は首だけ曲げて、そう言った。
恐怖や緊張など、露程にも感じていないのだろう。弛緩し、リラックスしている。そこにあるものを丸ごと受け入れるような、無邪気で、無防備な信頼があった。
手を伸ばしても、彼は避けない。不思議そうに、ほんの少し首を傾げただけだった。
指先が触れる。熱かった。人の皮膚は、その下を流れる血よりも熱いのだ。
手の平を全てつけてみても、彼は動かず、何も言わなかった。背骨の尖りと隆起した固い筋肉と、呼吸によって膨らむ肺を感じた。人は脆い、とふと思った。これらを壊すのは容易い。一瞬で、壊せる。人は脆く、弱い。
思わず手を離していた。
代わりに、指先だけでそっと触れる。
すると、は、と彼が短く息を吐いた。思わず、と言うようであり、安心したようでもあった。
それで、これはカカシの触れ方だと気付いた。傷がないと言って俺の背に触れた、あの時の触れ方だ。
傷の輪郭をなぞるように、丁寧に、その奥のいのちを脅かさないように、優しく。
この、極普通の、いや普通より劣ってさえいそうな中忍。もう一人の“うみのイルカ”。カカシの、特別――
そこまで考えた後、俺は、自分を抑えることを忘れた。
自らの肉体と精神を完全に律するのが、忍びだ。常にそれを目指し、努力してきた。だが、今そんなことが出来るとは到底思えなかった。暴れ回る激昂と、淀む冷酷さが、渦巻いて混乱している。
一つ、息を吐いてから、指を、背骨に沿ってゆっくりと下ろしていった。
素肌と布地の境目まで来た時、彼は微かに震えて、ようやく抵抗を示した。だがもう遅い。
俺は両手で彼を抱き締め、動きを奪った。
目の前にきた項に歯を立てる。数筋の髪が解けて、首に長く垂れた。
「何して……!」
彼はもがいて、逃れようとした。俺はそれで構わないと思った。腐っても中忍なら、俺を殺してでも逃げること位は出来る筈だ。今の俺はそうなれば、多分、抗わない。
しかし、彼はそうしなかった。
「“イルカ先生”……」
俺がそう呟くと、彼はもがくのを止め、逆に気遣うような視線を寄こしたのだ。
俺は至近距離でその目を見ていられず、唇を噛み締めて、手を動かし始めた。抱き締め、その肌を撫でた。
彼は、俺のすることの意味が分からないのだろう、何度かどうしたんだと訊ね、居心地悪そうに身じろいだ。だが、触れられること自体には、嫌悪や違和感を感じていないようだった。
だからすぐに分かった。
これは、“愛される”ことに慣れた身体だ。
こうして触れられ、高められることは彼にとってイレギュラーではないのだ。少なくとも、初めてではない。彼の身体には、誰かの影があった。
いや、誰かではない。間違いなく、カカシだ。
俺は、穏やかな動きを止め、片手で彼の身体を拘束した。そしてもう片手を、下穿きの中に差し入れる。
「なっ……!」
流石に激しい抵抗をされたが、どうということもない。暴れる彼を押さえ付け、ペニスを握り込む。本能的な恐怖だろう、途端に動きが鈍くなった。
彼のそれは柔らかく萎えていた。だが緩く揉むようにすると、徐々に熱くなっていく。どうすれば良いか、はっきりと分かる。自慰と同じだった。的確で、冷えている。おかしな思いがした。どうして、俺はこんなことをしているのか。
その内に、しつこく刺激されて彼のものは固くなり始めていた。
ゆっくりと、扱き、芯を擦り、先端を指先で撫でる。
「あ、あぁッ」
続けて裏筋をくすぐると、面白いようにびくびくと跳ね上がった。笑ったり泣いたりするのと同じく、気持ち良いと訴えるのにも素直だった。
それを見ながら、下ろして行った手を、回り込ませるようにして、その奥に触れる。
彼がびくりと跳ね上がった。さっきまでの快楽による反応とは違う。
ああ、彼は知っている、と思った。
ここを、使っているのだ。カカシが。あるいは、カカシのそこを、彼が。
衝動のまま、指を押し進めた。
固く、乾いたそこは指先がせいぜいだ。本気で犯したい訳じゃない。
なら、どうして、俺はこんなことをしているのだろう。分からなかった。
その迷いが、力を緩めさせた。
彼が見逃さずに、拘束から両腕を逃れさせると、俺の手を下穿きから引き抜こうとする。
「や、めろ!」
「……どうして?」
彼のペニスは濡れてこそいなかったがしっとりと汗ばんで、固くなっていた。そこに手を写して擦り上げ、揶揄してやる。
彼は、俺の手を必死で掴み、もがいて言った。
「うぁ、だ、だってこんな、お前、自分だぞ! お前は、俺だろ!」
もはや律しようという気も無かった。俺は激しく、叫んだ。
「――俺はお前じゃない!」
触れているのが苦痛で、彼を突き飛ばす。そして逃げるように後ずさった。
「カカシだって、そう言ってた……全然違うんだよ、俺たちは」
呟くと、倒れた彼が顔を上げてこっちを見た。
同じ顔だ。そっくり、同じの筈だった。
それでも、どうしても、同じには思えなかった。己の顔を、反転した鏡でしか見たことがない所為だという理由では、ない。やはり、俺たちは、違うのだ。
「何が違うんだろうな……」
ふっと力が抜けて、壁に背をもたれて座り込み、顔を伏せる。
彼は、起き上がったようだった。そっと動きだし、おそらくは、乱れた衣服を整えた。その動きは確かで、何処か痛めた所などはないと分かる。それだけが救いだと思った。
静かだった。彼は黙っていて、俺は動けなかった。さっさと追い出して欲しいと思っていた。
しかし、しばらくして、
「……大丈夫か……?」
彼はそう言って、俺の肩に手をやった。
その肩が、厚い支給服を通してさえ、温かくなる。
苦しかった。
俺は、この人のようにはなれない。そういう、敗北感を感じた。
それで、俺はただ、彼が羨ましかったのだと気付いた。
「――俺も、誰かを守ってみたい」
誰かのことを想って、泣いてみたい。誰かに、笑いかけてみたい。優しくしてみたい。……愛してみたい、愛されてみたい。
そう出来ないことが、心の底の底から悔しくて、悲しくて、子どものように膝を抱える。
彼の気配は、迷うことがなかった。
「もう守ってるじゃないか……向こうで里の皆を、守ってくれてるんだろ?」
俺のすぐ前に座り込んで、そう言った。
それから、偶然か、いや多分よく知っているのだろう、左肩の刺青の辺りをさする。
そうだ、守りたいとずっと思ってきた。
里を守る為なら、命だって惜しくない。里の人々が平和でいられるなら、どんな痛みも醜い傷も受けることが出来る。この刺青がその証だ――
そう思った時、白い光が現れた。
この世界に来た時に包まれた、あの光。帰るのだ。何となく、そうだと分かった。
「……どうやら、帰るみたいだ」
「えっ!」
彼は驚いた顔をして、何故かあたふたと慌て始めた。
彼のそういう、忍びらしくない所をやっと見慣れたのにな、と別れを寂しく思った。
「色々、すまなかった。許してくれ」
最後がこんな言葉で情けなかったが、どうしても言いたかった。
彼は、そういう気持ちを正しく汲んでくれたに違いない。こくこくと大きく頷いてくれた。
それが嬉しくて、何だか可笑しくて、少し笑ってしまう。白くなっていく視界の中で彼も笑って、
「元気でな! 身体、大事にしろよ!」
と言った。俺は今度こそ、噴き出して笑った。
「はは……かーちゃんみたいだ」
呟いてから、思い出した。ずっと家族みんな任務続きで会えないことが多かったが、会うといつも、母はそうやって心配してくれていたこと。父も、何も言わずに新しい忍具を置いていってくれた。同じく心配してくれていたんだろう。
早く帰りたい、と初めて思った。
俺はイルカ先生のようには、なれない。だが、彼の何かを百分の一くらいは、持って帰ろう――
*
「――ルカ! イルカ! イルカぁぁ!!」
耳元で張り上げられている、いつもの声がする。
「カカシ、うるさい……」
言いながら、いつも通り受信音量を下げるが、耳元の声はますます大きくなった。
「良かった……! イルカ!」
ぐっと何かに身体中を締め付けられて、呻きながら目を開けると、銀色の髪が見えた。
「カカシ……か?」
呼ぶと、「ああ!」と勢いよく頭が上がり、顔が見えた。煩い声、溌剌と開かれた目。間違えようもない、暑苦しい気配。俺の良く知っているカカシだった。
「一体、どうしたんだ! いきなりいなくなって倒れていたから心配したぞ!」
言われて、見回すと、そこは違う世界へ飛ぶ前の、任務中の森のようだった。
訊けば、ターゲットはカカシが捕まえて任務は完了していたが、それ程時間は経っていない。夢だったのだろうか、と考える。
「……大丈夫か?」
カカシが心配そうに見下ろしてくる。
その時、ようやくカカシに抱えられていることに気付いた。カカシが支えてくれている背が、温かかった。
「ああ、平気だ……」
答え、息を吐く。しばらく起き上がらずに、カカシの体温を感じていた。それが無性に嬉しかった。
「……ありがとう、カカシ」
素直に、言った。
カカシは珍しく無言で笑い、俺の肩に回した腕に力を込める。俺もそれを受け入れて、笑い返した。
それから、何だか静かで照れくさくなって、起き上がる。
「帰ろう、里に」
言うとカカシは途端に煩く騒ぎ立てはじめ、「よぅし! 夕日へ向かってゴー!」だとか叫んで、走っていく。
全く、相変わらず煩いな、と微笑って、追いかけた。
里への道を辿りながら、カカシにも話してみようか、とふと思った。あっちのカカシは寡黙でクールで格好良かった、って。
――いや、やっぱり止めておくか。真に受けてコイツも静かになっちまったら嫌だから。
煩くさせておこう、今まで通りに……。