Ⅰ− 1


 カーテンの隙間から、月影が細く長く、ベッドの横の床を刺し貫いていた。ここから先は何人も入ってはいけないと示す白線のように。
 線の向こう、ベッドの上には僅か顔を赤らめたイルカが座っている。
 その光景を見た瞬間、カカシの鼓動が荒れ狂うように高鳴った。今すぐ彼を抱き締めたい。その想いが膨れ上がって内側から破裂してしまいそうだった。
 激しく彼を求めて止まないのに、しかし、その余りに強い欲望が故に恐ろしく、カカシはたった数歩を歩めずに立ち竦んだ。
「カカシさん?」
 気付いたイルカが心底不思議そうに首を傾げる。
 そうして言葉なく、傍に来ないことが不自然だと告げてくれた。たったそれだけで動かなかったカカシの足が勝手に彼へと向かっていた。招かれるように隣に座り、抱き締める。背中に回った腕が、カカシを優しく肯定した。
 イルカの首に顔を埋めながら背筋を撫でる。少し落ち着きたくて、意識してゆっくりと触れた。
 だが真似るように同じ動作をしていた彼が、不意に、指先でカカシの襟足の辺りをそろりと辿った。カカシは全身が沸騰する気持ちがした。
 身体を少しだけ離し、彼の唇に噛みつくようにキスをする。柔らかく厚みのある下唇を何度も食み、舌でなぞる。カカシの首を撫でる彼の手に力がこもった。もっと深くがいい、と言われているように感じる。

「ねぇ……俺とこうするの、嫌になってないの?」
 思わず、ぽつんと呟いていた。
 イルカとはもう数回、肌を重ねている。どの夜も、それはひどいものだった。カカシが彼に夢中になるあまり、手練手管を忘れてしまう所為だ。カカシだけが楽しんで、イルカのことはろくに気持ち良くしてあげられなかっただろう。
 しかし、イルカはいつも笑って眠りにつく。それが疑問だし、不安だった。
 喜怒哀楽も拒絶も、はっきりと表す、分かりやすい人だ。今夜などは、カーテンを閉めてカカシをベッドで待っていてくれた。嫌々付き合ってくれている訳ではないように見える。
 が、それもカカシに都合の良い解釈だったと言われれば、そうかと頷いてしまうだろう。それだけ散々なセックスだったという自覚はある。
 出来ることなら、断られないのをいいことに、このまま曖昧にしておきたかった。温かい肌を知った今、知る以前に戻らねばならなくなったら辛い。だがもし、イルカが逃げ道を失ってしまっているだけなら、その方がより辛かった。無理強いだけはしたくない。いつだってカカシを拒絶できるのだと分かっていて欲しかった。
 祈るような気持ちで、イルカの額に頭を擦り付けながら、ちらりと彼を覗き見る。

 目が合うと、彼は、くふっと、小さく笑った。
 そしてあの散々な夜たちを、楽しかった、と言った。
「それに、なんて言うか、その……笑わないでくださいよ?」
 彼は恥ずかしげに、鼻の傷を指先で掻いて、小さく呟いた。
「……一つになれる気がして。それが、すごいことだな、と」
「ひとつに……」
 カカシはそれ以上を何事か言おうとしたが、喉が詰まって何も言えなかった。
 イルカが嫌がっていないという喜びと、困惑が絡み合っていた。
 自分たちは一つになれていただろうか。分からなかった。カカシは彼を前にすると何も分からなくなってしまう。いつも夢中で我を忘れて、身勝手をしていると思う。
 それなのに、彼はそこから何か素晴らしいものを見出してくれた。

 堪らない気持ちでカカシは彼を抱き寄せ、できる限り身体を密着させようと試みた。
 イルカのTシャツの裾から手を潜り込ませ、素肌の背を撫でる。
「どこがいいのか、教えて」
 カカシはそっとイルカに囁いた。
 温かい肌の感触に思わずまた我を忘れそうになるが、奥歯を食いしばって落ち着こうと努める。
 今夜からは自分ばかりでなく、彼にも気持ちよくなって欲しかった。その為ならなんだってする。任務の時のように、自分を殺してでも。
 だがその決意は、イルカの声で簡単に砕かれた。

「……カカシさんも、教えてくれるなら」
 彼はそう言って、カカシのシャツの裾から手を差し入れた。
 ふっと、何かの術でも使われたように、カカシの身体から緊張が解ける。
 遠慮がちな指に脇腹を撫でられ、嗚呼、と息を吐いた。それは単純な肉体の歓びと共に、感嘆の溜め息だった。
 またしても独りよがりの身勝手をするところだったと気付かされたのだ。そうだ、自分だけが求めても、与えても、独り貪っても、きっと一つになれたと思えやしない。
 こうやってカカシには見えない道を、イルカはいつも指し示してくれる。そして新しい道を知る度、カカシは恋に落ちるのだ。
 イルカに促され、降伏するように両手をあげる。たくし上げられたシャツが頭から引き抜かれていった。数瞬の闇の後、目の前の彼に再会する。ついさっき恋に落ちたばかりだから、見慣れた筈の姿さえ初めて見るように新しかった。照れくさそうな表情や、そのくせ決して逸らされない真っ直ぐな瞳が、苦しいほどに愛おしい。
 カカシが見惚れている内に、イルカは自らシャツを脱ぎ捨てる。二人で手を伸ばし、抱き合った。裸の胸が触れ合う。イルカの高い体温と、リズムの違う鼓動を感じた。

 ――この人と一つになってみたい。
 カカシは心からそう思った。
 肌の境が溶け合って、体温と鼓動を同じにできるなら、彼を求めるこの狂おしい胸の痛みもきっと楽になるだろうから。

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