今日の晩飯は鍋。
豚肉と、近所のおばちゃんの畑でとれた大根を入れる。スライスしてしゃぶしゃぶ風にする予定だ。ポン酢と柚子胡椒を合わせたら最高だろう。後はまぁ……適当に冷蔵庫の中の野菜をぶちこむだけの貧相なもんだが。
3pもの厚さの牛肉を尻目に、特売の豚ロース薄切りを手に取る。
買い物かごに入れながら、買い忘れはないか考えた。特にないだろうが、思わぬお買い得品を見つけるために一応ぐるりと店内を回る。
途中アカデミー生の母親に挨拶しながら、一周し、レジ手前までたどり着いた。
レジ手前では何やら異様にたくさんの女性たちが群がっていた。無理もない、明日はバレンタインデーだった。

バレンタイン――厄介な風習だ。
前々から、期待したり落胆したり、あるいは喜んだり(まぁ残念ながら落胆の方がもちろん多かったが)、と大騒ぎしなくてはならない面倒な日だと考えていた。貰えたら貰えたで、翌月に3倍にして返さなくてはならないし。良く考えるとタチの悪い金融業者みたいだ。
どうしてもやりたいなら、もうデキてる奴らだけ、盛り上がってくれれば良いのだ。
……かくいう俺は? 彼女? そんな人がいたら、一人でスーパーを徘徊したり、一人鍋をしたりするだろうか。(そう、今晩の鍋は一人で食うのだ。問題があるだろうか。それとも何か、一人で鍋をしちゃいけない決まりでもあるのか?)
全く迷惑なイベントこの上ない。
しかも、何やらさっきから、脳裏に、思い出したくもない人物の顔が浮かんでくるし。

通りすがりにちらりとうかがうと、楽しげな女性たちと綺麗にラッピングされたチョコレートたちが見える。
チョコは結構好きだ。美味い。だから実はそこに並んでいる、普段見ないような高いチョコに興味がある。
だが、そんなもんは多分、というか確実に貰えないので、毎年、自分で買おうかなどとさえ思う。

しかし、実行する気はない。
買うとして、まずそのチョコを手に取るのが恥ずかしい。そしてレジでも恥ずかしい。さらに持って帰るのも恥ずかしい。それらの恥を忍んだとして、それを一人でこっそり食べても、そこはかとなく空しい気がする。
それから何より、そのチョコを、ある人物に見つかったら大変なことになりそうだし。
誰かからの贈り物だと思われて何故か怒られたり、あるいは俺からのチョコだと勘違いして大喜びしたりしそうだ。
だから買わない。

そうだ、チョコなんて買わない。買わないったら買わないのだ。
「バレンタインにチョコくださいね」
と、最近ずっと言われ続けていたとしても、絶対絶対買ってやらない。

買わない買わないと唱えながら、バレンタインコーナーを去って、酒類の棚へ寄る。何だか急に呑みたくなったので、ビールを買うことにした。

そうだ、俺はビール好きのオッサンなのだ。何が悲しくて、少女および淑女が頬を染めて可愛らしく想いを告げる日に、こんなオッサンがチョコを買い、あまつさえ同じ男に渡さなくてはならないのだろうか。
傍から見たらちょっとしたホラーである。何らかのトラウマになること間違いなしだ。
しかも、その相手は、貰おうと思えば小山が出来る程の数を貰える男だ。別に女性にモテたい訳でも、甘いものが大好きという訳でもないのに。
俺の方は出来ればモテたいし、しかもチョコ好きという好条件にも関わらず、小山に比べて盛り塩レベル。そんな俺からチョコを巻き上げようとするとは、何という不条理だろうか。世の中は間違っている。
更に言えば、小山男は金持ちだ。有り余る金を持っている。俺が今、ビールじゃなくて発泡酒にしようかな…なんて何十円単位の差で迷っている、この切実な悩みなど決して理解できないのだ。バカ高いチョコを幾らでも買える男が、小さい駄菓子チョコ程度の節約で苦しむ俺からチョコを巻き上げる。一体どういうことだろうか。世の中は実に間違っている。

ふんふんと鼻息を鳴らしつつ、酒を物色する。最近は新商品が続々出てくるから見逃せないのだ。とりあえず一本、いつもの発泡酒を買い物かごに入れておき、端から端までじっくり見ていく。
そして半ばまできた所で、見慣れない缶を見つけた。

外観は黒い。黒ビールだろうか。黒ビールは好きな方なので俄然注目する。
いや待て。以前黒ビールだと思って買ったら、普通の黄色いビールだったこともある。焦るな。見た目に騙されてはいけない。
慎重に手に取り、缶に書いてある文字を読む。じっと読む。が、外国語で書いてあって、良く分からなかった。

仕方なく、棚に戻そうとしたら、店員さんの手書きのPOPが貼ってあることに気が付いた。
『オトナなカレに! チョコフレーバーのビール!』
と、ある。
何やらカタカナが多過ぎて分かり辛いが、とりあえずチョコが関係しているらしい。

全く、ここでもチョコか! どいつもこいつもチョコチョコと煩いったらない。
ここしばらく、聞き飽きた言葉だ。あの、例の男から。

多分、明日、バレンタインデー当日にも、あの男はチョコをくれ、と強請ってくるに違いない。全く腹立たしい。
女の子からいっぱい貰える癖に。
あの男からは俺へ何か贈ろうとは思ってもない癖に。
くれくれ言うだけで、欲しい理由はちっとも告げてこない癖に!
憤慨しながら、チョコビール缶を握り締める。

そして、ふと、あの男のことばかり考えていることに気付いた。
全く最近、奴は口を開けば「バレンタイン」と「チョコ」ばかり言っていたから、奴とバレンタインがイコールになってしまったのだろう。
まるで呪いのようである。恐ろしい。なんて恐ろしい男だろうか。

……まぁ…それだけ、俺からチョコが欲しかったと思うと…
――って、いやいやいや、違う違う。奴は、呪詛を用いたのだ。いや、術かもしれない。聞いたことない術だが、何たって千の技をコピーした男だ。何だって出来るだろう。
……しかしほんと、凄いよなぁ、何でも出来るなんて…
――って、いやいやいや、違う違う。奴は、何でも出来るってったって、それは全部コピーだ。人から掠め取ったのだ。
俺の心を掠め取ったように――って、ええーーい、違う違う!



一人でアワアワしながら、気が付くと、俺はレジで会計を済ませていた。

つまり、そのチョコビールを俺が買ってしまったのは、そういう訳だ。間違っちゃったのだ。
その後それを冷蔵庫ではなく、いつも持っているバッグに入れておいたのも、たまたまだ。たまたま。

――…別に、あの人に渡すためではない。断じてない。ないったらないのだ!










ツンデレの定義、合ってるか、これ。