残業もしないでいつもより早くアカデミーを出ると、大きな半月が浮かんでいた。
だから俺は一楽に行くことに決めた。

(丸っこい半円が、ラーメン丼にそっくりだったのだ)







    イルカ先生の幸福なお食事






そんなことを他人にも話してしまうからか、どうにも誤解をされがちなのだが、別に俺だってラーメンばっかり食ってる訳じゃあない。

確かにラーメンは美味い。
調和を表現した芸術品だ。一杯の丼の中の小宇宙だと思う。スープの一滴や、麺の一本一本に精霊が宿っていると言われても驚かない。
(もちろん例外はあるにしても。調和というよりカオスな一杯や、ブラックホールというべき謎の一杯、悪魔の宿る麺も存在する。最近のラーメンブームでそういった輩が増えたと思う。嘆かわしいことである)
とはいえ、忘れてはいけないのは、俺が忍びだということだ。体調管理は仕事の内に入る。
ラーメンが素晴らしい存在だというのには疑う余地はないが、健康に良いかと問われればそれは迷うところである。体内の臓器に聞いてみたら、きっと、腸などは「もっと野菜が入ってた方がいいかな、タハ」と弱弱しく小声で言うだろうし、「背油はもうちょっと控えた方が宜しいかと存じます」と断固とした口調で心臓やら血管やらは言うだろう。反対に、最近気になる下腹の辺りの贅肉は「健康? 何ソレ、誰か外国人?」ととぼけるであろう。

そんな訳で、ラーメンを食べるのは程々にして、家で自炊をするし、止むを得ない事情があって外食するにしても、バランスのとれた食事を心がけるようにしている。

曲がりなりにも忍びであり、教師だ。栄養学だって齧った。
だから自分が何をどれだけ食えばいいものか、俺には分かっているのである。

*

「おかえりなさーい」
アパートの扉を開けると、気の抜けたそんな声が聞こえてきた。
カカシさんである。
当然のようにカカシさんはそこにいて、俺も驚いたりしないが、一緒に住んでいる訳ではない。俺としてはお互い独り暮らしが長かったのだから、このままの方が気楽で良かろうと思うのだが、カカシさんはそうでもないらしい。適当に誤魔化していたのだが、カカシさんがどうしてもと強請るので、先日合い鍵を渡した。(しかし、それ以来カカシさんの私物が俺の部屋にどんどん増えていくのは気の所為だろうか)

「あ、カカシさん…それ…」
靴を脱いでベストを放り投げた後、カカシさんの立つ台所まで来て、俺は呟いてしまった。
「ああ…もうすぐ出来ますよ、せんせ」
嬉しそうにカカシさんが言う。
俺は反対に脱力した。
カカシさんは夕飯を作っていたのである。明らかに二人分。

「あの、すいません、カカシさん、俺……」
俺は正直に言おうとした。
言おうとしたんだ。

「あ、良いの良いの。気にしないで。せんせもお仕事大変でしょ。たまには俺が作るって。いつもありがとーね」

……言える、と思うか? こんな満面の笑顔の前で…。
もうラーメン食ってきちゃったって。

「………ありがとうございます…」

俺は呟いた。
やっぱり合い鍵渡すんじゃなかった、と後悔しながら。
ちょっと涙目になってたと思うが、カカシさんは良い方へ誤解してくれたようだ。

にこにこしながらちゃぶ台に見事な和食を並べる。
美味そうだ。
美味そうだけど…俺、もう今日の分のカロリーオーバーなんです、カカシさん…最近俺、下っ腹がヤバいんです…。
……なんて言える筈もなく。
「いただきます…」
涙をちょちょぎらせながら箸を取った。

俺は何をどれだけ食えば良いかなんて、分かってる。
運動量と摂取カロリーのバランスも考えてる。
考えてるんだよ…ほんとに……。


*

食後、晩酌も断って俺はその場に寝転んだ。
腹が満杯なのだ。満腹を通り越して食道まで埋まっているかのようである。
無理もない。俺は一楽で、久しぶりだったので奮発して、チャーシューラーメン大盛りトッピング全部乗せをスープの一滴まで残らず完食したのだ(ラーメン通が見ると英雄として称えられる)。それだけで積載量オーバーの俺の腹に、カカシさんの手料理を乗せられれば、そりゃあ英雄の俺だってちょっと事故りそうにもなる。はっきり言えば吐きそうだ。

「だいじょうぶですか。お疲れですね」
後片付けまでしてくれたカカシさんが寄ってきて言った。
心底心配そうな顔をしてくれている。

優しい人だ。料理もうまい。
こんな人が俺と一緒にいてくれるんだ。と思ったら、合い鍵渡すんじゃなかったなんて思ってすいませんと反省した。

ふと、寝転んだ俺に覆い被さるように見下ろしてくるカカシさんの向こうに、“うっきーくん”が見えた。カカシさんが持ち込んだ不思議な植物だ。
その横には、ナルト達と一緒に撮った写真。それから、色褪せた写真がもう一枚。少年時代のカカシさんが、スリーマンセルを組んでいたオビトさんとリンさん、そして四代目に囲まれているものだ。

俺は、…何と言うのだろう。
もう堪らなくなった。お腹一杯だ(いや、物理的にはさっきっから腹は一杯だったんだが…。あ、こういう時は“胸一杯”と言うのか?)。
カカシさんはあの色褪せた写真の頃から、いやその前からずっと、辛い思いをして生きてきた。カカシさんはそれらのことを意外と何でもないことみたいに飄々と話したりする。カカシさんは強い人だ。
それは分かっている。だけど、俺はおこがましいにも、そんなカカシさんを支えたいなどと思ってしまうのだ。“人”という字の短い方の棒になりたい。支え合うにしてもちょっと多めに背負ってあげたい。
過去はもう終わってしまったけど、これから起こることはそうして行けるのである。
それなのに、俺は一人のが気楽で良いから、という理由で同居を渋っていた。いつ何時、あの写真の人達のように、俺達のどちらかがこの世から消えていなくなるかも分からないのに。
俺は、自分が馬鹿だったと思った。

そのまま勢いで俺は言っていた。

「カカシさん、一緒に住みましょうか」
逆光だったので良く見えなかったけど、カカシさんは驚いた顔をした。それから目尻を下げて笑った。こんな唐突な俺の申し出にも理由一つ聞かず、大きく頷いてから抱きついてきた。

少し早めに打つ、カカシさんの鼓動を感じながら、言って良かったと思う。
正直言って他人同士なんだから、一緒に暮らすのはきっと色んな障害があるだろう。一人だとしなくても良い我慢を強いられたり、我慢できずに喧嘩くらいするかもしれない。悪くいけば別れることになったりするかもしれない。
でも、それでも良い。良いじゃないか。いつか別れる日が来るなら尚更、それまでなるべく一緒にいたいじゃないか。

それに、一緒に暮らすなら、『今日飯いりません』とか自然に言い合うようになるだろうし。今日みたいなこともなくなるだろ。
(あ、別にそれが第一の目的じゃないからな!)



「イルカせんせ……」
低い声で囁かれ、キスされ、ふと気がつくと、抱きついていたカカシさんの手が裾から入り込んで、俺の脇腹を撫でていた。
ああ、やっぱりそうなるよな…と俺は思った。確かに今良い感じだ。一緒に住む、と決めたこの喜びは、言葉で表すより身体でのが相応しい。
分かっている。俺も無骨かもしれないが、野暮ではない。

だが……如何せん、その行為で用いるあの部分が、今のところ入口になりそうもないのだ。
目一杯食った後なのである。完全に出口としてしか機能しそうにない。
(意味が分からない人はそのまま分からないままでいて欲しい)

そういった特殊な趣味は俺にもカカシさんにもないので、是非今は止めておいた方がお互いの為だと思う。

なので。
俺は、『明日は体術の授業がある。しかし明後日は丸一日お休みである』と伝えた。
カカシさんは「じゃあ明日の夜はいっぱいして良いってことだよね」と喜んだ。(まぁつまりそういうことなんだが、別に口に出して言うことではないだろうに…)
こうして特殊なプレイを体験することは回避された。目出度しである。


しかしカカシさんがどうしてもと言うので、触り合う位はした。
(カカシさんはこんな腹の膨らんだ男によくも欲情できるものである)

おかげでまた蛋白質を摂取することとなった。全く、またカロリーオーバーだ。

(まぁ俺も同じだけ排出したから大丈夫なのだろうか?)
(意味が分からない人はそのまま分からないままでいて欲しい)






あら嫌だ、げひーん。