子の刻、獣達が言葉無く理解したこと



 イルカの部屋の寝台は窓に面している。そして窓からは往来が良く見えた。眠れない夜は寝転がりながら夜空を見たり、それも出来ないほど落ち着かない夜は座り込んで、暗闇の往来を眺め、極稀に通る人を見つめた。
 その夜のイルカは後者だった。その日の日暮れまで比較的長期の任務に就いていたからだろう。 夜動く忍びとしての任務後は、野生の獣のように気配や音に敏感になる。もちろん忍びとして、それらを強制的にシャットダウンして眠りにつくことも可能ではあったが、イルカはそうすることを好まなかった。眠って身体は休めても、尖り切った精神が休まる訳ではない。眠る間も精神は常に気配と音を感じ取るからだ。
 里内にいる以上、必要以上に警戒するのは無意味だ。だから、時間があるならこうして、平和な往来を眺めて、里内にいると言うことを己の心に言い聞かせてやるのだった。
 帰宅した日暮れから、イルカは食事や風呂以外の時間を、寝台で座って窓の外を眺めていた。任務が長かった時ほど、里の平和に慣れるのにも時間がかかる。それでも夜が更ける頃には、まどろみの時のように感覚がたゆたい始めた。
 もう眠っても問題ないだろう、そう思い、カーテンを閉めようとした時、イルカはある人を見つけた。
 その男の歩き方は、酔っぱらいが道の真中を堂々と歩いているようにも、獣が両側からの攻撃に備えて警戒しているようにも、猫が気紛れに彷徨っているようにも見えた。そして同時に何者でもなかった。紛れもなく忍びの歩き方であった。
 イルカは男を注視した。すると、往来の真中でその人はイルカの方へと顔を向けた。偶然ではない。男の目は胡乱であったが、感覚は研ぎ澄まされているに違いなかった。そういう時は、月の光や雲の動きも神経に障るのだ。人の視線はもっと刺さるようにさえ感じるだろう。
 イルカと男はしばらく見つめ合った。その視線はまるで外せば喉元に噛み付かれると互いに思っているかのように、力強く、必死で、容赦がなかった。
「カカシさん」
 ほとんど声になど出ていないほど小さくイルカは男の名を呟いた。そして獣の睨み合いのような視線を先に解き、白旗を掲げる。それは、無意味だったからではない。もちろん相手が見知らぬ忍びであったなら無意味この上ない。しかしそれがこの男であったなら話は別だ。白旗は、喉元を噛み切られても良いという決意であった。
 しかしカカシはイルカから視線を外さなかった。変わらぬ胡乱な目で見、そして徐に手を持ち上げ、イルカの部屋と自身を交互に指差した。部屋へ上がっても良いか、という意味だと気付き、考える間もなくすぐに頷く。
 カカシがゆっくりイルカのアパートの階段を上って来る。足音は全くしない。しかしイルカにはその1段毎の足の動きが分かるように感じた。ようやく丸まった筈の神経が、カカシに引きずられて再び尖ってしまっていた。
 丁度カカシが部屋の前へ来たと言うところで、イルカはドアを開けた。カカシは驚かない。そうなることが分かっていたのだ。そうカカシが思っているということが、イルカにも分かった。 開いたドアに、カカシは猫が隙間を通り抜けるような仕草で、イルカのすぐ隣へ滑り込む。相手の呼吸を痛いほど感じ取れる距離に近寄る。イルカは後ろに下がる間のほんの一瞬に、カカシの状態を観察した。怪我はないようだ。チャクラの乱れも、殺気も感じられない。恐らくただ単に疲れている。
「ちょっとだけ、休ませて」
 カカシが小さく言って三和土に座り込んだ。
「上がって、中で休んでください」
 冷たい三和土では休めるものも休めない。少々強めの口調で言うと、カカシも素直に上がり縁へ移動した。
 カカシの服や手に、返り血など目立った汚れはない。しかしカカシが靴を脱ぐと、足だけは乾いた泥で汚れていた。イルカは一度下がり、手拭いに水を含ませて戻った。
「足を拭ってください」
「いいよ。ここでちょっと休ませてもらったらすぐ帰るから」
 差し出した手拭いにカカシは見向きもしない。立てた膝に腕を乗せて、その間に頭を垂れる。階級も実力も上の忍びに途轍もなく失礼なことだが、その丸くなった背中に、イルカは憐れを感じた。
 イルカはもう一度下がって、今度は風呂から温くなったお湯を盥に入れて運んだ。
「カカシさん」
 声をかけてから、その横を通り抜けて、三和土に盥を置く。そのままイルカは座り込んで、カカシの足へ手を伸ばした。出来得る限りそっと触れたが、それでもカカシの過敏な神経が緊張し、イルカの手を詰るような圧力を感じた。だからイルカは逆に、空気に擬態するような感覚で接した。
 巻き脚絆を片足ずつ解いていく。忍びとして生きた年月の所為か、それとも生来の器用さの為か、それは美しく巻かれていた。きっと役目を終えるまで絶対に解けたりしないだろう。一巻き解くと、形の良い足首が見えた。決して弱弱しくはないのに、細く引き締まり、良く撓る檀の樹の枝を思わせる。それからも全て解く間に見えた一つ一つがイルカを感嘆させた。
「湯に入れますよ」
 宣言してから、カカシの形の良い踝の辺りを手で支え、盥へ下ろす。体温と同じくらいの温い湯が、カカシの足を包む。それに馴染むまで、イルカは待った。
 カカシの足が僅か緊張をなくした頃、イルカは湯を両手で掬い上げて脛の辺りへかけた。両足に何度も繰り返す。そしてそれにも慣れた時、ようやく手の平で固まった泥を擦り始めた。こればかりは空気のように触れるわけにはいかない。僅か力を入れて、ついでにマッサージするように触れていく。踵を丸くした手の平で支え、反対の手で甲を擦る。土踏まずを支え、足首を擦る。そんな風に、両手で丁寧に洗った。
 カカシの、イルカを貫くような強い視線を感じる。それはイルカが彼を迎え入れてからずっと、背を向け合っている時でさえ感じる、あるいは視線ではない何かであった。決して拒否ではない。イルカには分かる。
 イルカがカカシの足の一つ一つを注視し、カカシが感じ取る何かを見逃さないように神経を尖らせているのと同じ。カカシもまた、イルカの手を、腕を、表情の見えない頭で揺れる髪を、只管に見つめ、イルカの感覚を感じ取ろうとしているのだ。
 イルカにはそれが分かった。カカシも分かっている。お互いが、それを分かった。

 だから、イルカには、カカシが自分を愛していることが分かった。そして、カカシもイルカが彼を愛していることが分かったのだと、分かった。

 イルカは触れていた足を離し、唐突に顔を上げた。カカシは驚かない。そうすることが分かっていたのだ。そして、この後に起こることも、お互い分かっていた。

 だから、2人は同時に顔を寄せ、唇に触れ合った。
 尖り切った神経で触れる唇は、刺すように柔らかく、痛むほど心地好かった。









私はイルカ先生の足を洗ってやりたい。そして舐めまわ(ry