俺は、
「今すぐ出ていけ!」
そう叫ぶと同時にちゃぶ台をひっくり返した。
上に載っていたグラスや皿が宙に舞い、派手な音を立てて落下する。
青ざめたナルトがすごすごと引き下がり、イルカはそっと俺に寄り添う――
という想像をした。
実際には、ちゃぶ台は無事だし、ナルトは青ざめていないし、何よりイルカがそばにいない。俺は独り、イカゲソをもそもそとしゃぶっていた。
目の前では、ナルトとイルカがきゃっきゃと楽しそうに何やらカードゲームに興じている。不愉快だった。あんなの何が楽しいのか。
…………いや、本音を言おう。実は羨ましい。混ぜて欲しい。
なら、一緒にやれば良いじゃないかと思うだろうが、俺は誘われなかったので入り込むのも気が引けた。もう一度言う。俺は誘われなかった。誘われなかったのだ。
そんな訳で独りポツンと、訳の分からない妄想をしながら、食べたくもないイカゲソをもそもそしているのである。
思えば、一日総じてこの調子だった。
何と言う不幸だろう。実を言うと、今日は、一応誕生日という奴なのに。
いや、この年になって誕生日如き、何を恥ずかしいことを、と言われるかもしれないが、事情はある。
数か月前のイルカの誕生日には任務のせいで何も出来なかったから、今日はお互いをお祝いしましょうね、なんてラブラブのあっつあつな約束をしていたのだ。しかもお互いプレゼントはなしで、という可愛いことまで言ってきた。当然俺は、それはもう俄然やる気を出した。プレゼントなしということは、“貴方しかいらない”という訳で、それは要するにつまり……まぁ後は察して欲しい。
ということで、俺は、ラブラブのあっつあつで、ぐちょぐちょのねっちょんねっちょんでどっろどろの……と、以下は省略するが、そのような夜を過ごすべく、鍛錬を重ねてきたのだ。
だから、夕方、珍しく残業のないイルカと連れ立って一楽へ行く時などはむしろ、ご機嫌だった。
が、問題はその後である。
味噌チャーシュー大盛りを輝く瞳で待つイルカを眺め、ホクホクしていた時――邪魔が入った。
「イルカせんせー!!!」
そう叫びながらオレンジ色の物体が転がり込んできたのだ。
ナルトである。
認識した途端、俺は思いっきり、顔をしかめた。
早々に手が離れたとはいえ、ナルトは可愛い生徒だ。この反応は酷いと言われてしまっても仕方がないが、俺の気持ちも考えて欲しい。
ナルトが来たということは――
「おお、ナルト! 久しぶりだなぁ!」
イルカの元々輝いていた瞳は、そう言うと同時に更に輝きを増し、ぴかぴかと光る。
それだけでも面白くないのに、その上、
「お前も食ってくか? 最近頑張ってるみたいだからな。オゴってやるぞ」
などと誘い、あまつさえ、イルカは座っていた椅子から横へ一つずれ、俺との間にナルトを座らせてしまった。
――とまぁ、こうなるのである。
何ということだろうか。
俺の、イルカとちょっとだけ触れ合っていた肩が寒くなる。
それだけではない。心も寒い。
イルカはもう俺のことなど見向きもしないで、ナルトと話し込んでいるのだ。それまではイルカと俺の二人っきりの世界だったのが、今やナルトとイルカの二人っきりの世界である。俺はぽつんと一人きり。
寂しくなって、イルカをじっと見つめたが、全く気付いてもらえない。
イルカが遠かった。椅子一つ分離れただけ、という訳じゃない。心は更に遠くに離れてしまった。
ナルトもナルトだ。
昔はちょろちょろ纏わりついては、俺の口布の下の素顔を見ようとしてきた癖に、今やこちらを見向きもしない。
『ほーら、今、俺、口布下ろしてるよ〜。ゆっくり食べてるよ〜見えちゃうよ〜』
という無言のアピールもしてみたが効果はなかった。
諦めて大人しく、独り、ラーメンと涙をすする。
しょっぱかった。
食べ終わってからも、独りで財布を出す。二人は「ごちそうさまでーす」と元気良く先に出て行ってしまったからだ。そりゃ俺が出します、と自分で言ったのが悪いのかもしれないが。
俺は自動で金が出てくる便利な財布に過ぎないのか……最早、存在そのものに対する疑問を感じてしまう。
一楽を出てからも、何故かナルトはついてきた。イルカと並んで、時折小突き合ったりしながら歩いていく。
俺はまたしても一人。楽しそうな二人を羨ましく思いながら、とぼとぼ後ろをついていった。秋の夜風が孤独な身に染みる。
だがまぁそれも家に着くまでだ。家に着いたらまたイルカと二人っきりになれる。そしてラブラブのあっつあつで、ぐちょぐちょのねっちょんねっちょんでどっろどろの……と、以下は省略するが、そのような夜を過ごす訳だ。
そう思っていたのだが――
「ただいまーっと」
と、扉を開けて言ったのは三人分だった。
我慢できずに「お前、自分のウチあるでしょ」とナルトに言ったら、「カカシせんせーにもあるだろ?」とキョトンとされた。完敗である。馬鹿には勝てない。
それからじっと黙って聞いていると、どうやら二人の会話から察するに、ナルトは泊まっていくらしい。俺には何の相談もないが、そうらしい。さっきからほとんど一言も話してないけど、どうやらそうらしい。
そして更には一緒に風呂に入ると話し出した。
それを聞きつけた俺は流石に声を上げた。猛然と抗議し、断固として譲らぬ姿勢を見せた。風呂場のドアの前に、そこで腹を切る覚悟を持って立ち塞がった。
……だがまぁ、お察しの通り、全く聞き耳を持ってもらえない。
恥じらいの一つも見せて貰えずに、素早くスッポンポンになると、二人は白い磨りガラスの向こうに消えて行った。
俺は廊下で丸まって、きゃっきゃうふふと楽園の歌声が聞こえてくるのを、涙を飲んで耐えたのだった。
その後、一応誕生日らしく、ホールケーキが出てきた。
ちなみにその時やっとナルトが「あ、カカシせんせー誕生日なんだ。おめでとーだってばよ」等と、さして興味も無さそうにのたまった。可愛くない奴である。
真ん丸のケーキには、プレートが載っていて、チョコレートで「おめでとう カカシ&イルカ」と書いてあった。線がよれよれのガタガタで、ほとんど判別のつかない文字だったが、確かにそうだった。多分、イルカ自ら書いたのだろう。流石にいい年こいた大人二人の(しかも結構巷で知名度高い)名前を、お店の人に書いて貰うのが恥ずかしかったに違いない。照れながら頑張ってチョコペンを操るイルカを想像すると、ちょっと可愛い。
俄かにホクホクした俺は、しかし、次の瞬間、元のテンションへ戻った。
既にプレートは消え失せ、丸かったケーキは半円へ、そして見る見るうちにイチョウ型へ変身していったのだ。さっきラーメン食べたのにこの食欲。恐ろしい師弟である。
特に俺の分は考慮されていないらしいなと思っていると、「カカシさんは甘いもの苦手ですもんねー」とイルカが言った。多分。モゴモゴしてて良く聞こえなかったが。
いや、良いのだ。確かに俺は甘いものが苦手だ。だから良いんだけど…何となく納得がいかないと思うのは俺だけなのだろうか…。
ともかく、そんなこんながあって、夜が更けていった。
イカゲソはしゃぶられ過ぎて、シナシナである。憐れだ。だが、俺だって別にイカゲソなんぞしゃぶりたくてしゃぶっていた訳ではない。しゃぶりたいものは他にあるのだ。アレとかソレとかコレとかナニとか。それはもう今夜は思う存分しゃぶるつもりだったのに。
まぁしかし、まだ希望はある。何事も全て悪いと言うことはない。考えてみれば、これは新たなる可能性を見出せる絶好の機会にすることも出来る。そうだ、ピンチを自らの力でチャンスに変える、それが上忍クオリティである。
コブ付きだからと言ってコブを邪魔にするより、そのコブを使えば良いのだ。
つまり、ナルトが寝ている最中、事に及ぶ。するとどうだろう。あら不思議、いつもと同じことをしてるのに、スリルと羞恥のスパイスによって、妙に感じちゃう、美味しいイルカの出来上がりである。
『そんなに大きい声出して…ナルトが起きちゃうよ』
『いやぁっ、カカシさん、どうにかしてぇ』
『口を塞げば良いんだよ、イルカせんせ……』
――などと妄想している内に、めでたく就寝と相成ったらしい。諸々の身支度をしてから、ナルトとイルカは寝室へ移動していった。いやぁ参ったなぁムフフ、とか何とか呟きながら、俺も寝室へ行く。
ナルトがベッドの上にいることは予想済みだった。許す。イルカの匂いの染みついた桃源郷で眠るなど普段は許さないが、今夜だけ許す。
その代わり、深く長く眠るがいい、ナルトよ。良い夢見ろよ。俺もイイ夢見るから。
などと思っている内にナルトは早々に寝入ったようであった。ちなみに名誉の為に言っておくが、俺は術は使っていない。断じて使ってない。使ってないったら使ってない、ホントに!
…さて、それはともかく、本日のメインイベントである。 ベッドの横には、二つ布団が並んでいた。ベッドに近い方に、イルカが寝そべっている。さて、めくるめく夜の始まりだ。俺は当然、いそいそと同じ布団に潜り込んだ。
その時のイルカの様子を、どのように表現するべきか。
イチャパラで鍛えた俺の語彙力をもってしても、それは表現しきれないような気がする。だから敢えて、一言で言おう。
――鬼のようだった。
その顔は人間のものとは思えなかった。様々な人間の側面を見てきた俺でさえ、見たこともない位の形相で、イルカは怒っていた。
俺がもしアカデミー生だったら、ちょっとチビっていたに違いない。
俺はすごすごと隣の布団に移動した。
「イルカのばか」
呟くと、「馬鹿は貴方でしょう、全く」と返された。多分企みはお見通しだったのだろう。
「誕生日なのにさー」
未練がましく切り札を出したが、イルカはふんっと鼻を鳴らして言った。
「俺の誕生日だって何もしてないんですから。おあいこです」
……もしかしたら根に持っていたのだろうか。
慌てて俺は上体を起こし、「じゃあ、今夜埋め合わせするから!」と、イルカに飛びかかろうとするが、「馬鹿ですか」の一言でブロックされた。
鉄壁のディフェンスの前に俺は為すすべもなく、元の通りに横たわり、深い溜息を吐いた。
せめて鬱陶しい程見てやる、と思って、身体を倒し、仰向けに目を閉じているイルカの顔をじぃっと眺める。特に怒られることもなかったので、ではそろそろ妄想でもしますか、と思い始めた頃。
「もう食べられないってばよー。むにゃむにゃ」
と、ナルトが言った。
寝言だ。見事なまでに典型的な寝言だった。
俺とイルカは噴き出す。
顔を見合わせ、くくく、となるべく声を押し殺して笑った。
「イルカせんせ、そんなに声出したら、ナルト起きちゃうよ」
「くくっ、だって…」
イルカは過呼吸になりそうな程の様子で身を捩り、必至に声を抑えたが、やはりどうしても笑いは漏れる。
だから俺はそうっと、その顔に近寄って、口付けた。
唇は薄く開いていたが、舌も入り込ませず、ただ栓をするように触れ合わせた。
「ごめんね、イルカ」
唇を離し、色々な意味を込めて、呟いた。
イルカは微かに首を振って、「俺こそ、ごめんなさい」と言った。
俺は微笑んで、乱れたイルカの髪を梳いた。
滑らかな額にかかる髪を掬い、後ろへ撫で付ける。生え際の辺りから首筋までゆっくりと撫で、頬まで戻るのを繰り返すと、イルカも微笑った。
その顔をそっと、指先で撫でる。イルカは笑みを深くしながら、目を閉じた。
何故だか泣きたいような、苦しいような思いが、胸に満ちる。自分は幸せなのだろう、と俺は思った。
考えると、色々と散々な一日だったが。
イルカは楽しそうだったし、俺も何だか満足していたから、多分、良い日だったに違いない。
仲良く重なるような二つの寝息を聞きながら、俺も寝入った。