夜にしか咲かない花というのは意外にある。
有名な所では月下美人だ。その名の通り、月の下でしか花開くことがない。そして陽が昇る頃までには萎んでしまう、夜だけの花だ。
カカシを見ていると、その花を思い出す。丁度、月の光の色とも花びらの色とも同じような髪の色だからというのもあるが、カカシと会うのがいつもオフである昼間で、彼の咲き誇る姿を見れていないから、という理由もある。
きっと夜には女性たちを酔わせるのであろうカカシは、昼間イルカが会うと、子どものような物言いをし、目を細めて穏やかに笑う、まるでホストらしくない人だった。
初めてカカシと出会ったあの日から、イルカが行くと、必ず事務所でカカシと会うようになった。
ミナトと話をしている時や、ミナトが席を外してイルカ一人で書類に向かっている時も、カカシは何をするでもなく、ソファに座って黙っている。何の用があるのかは知らない。夜中の営業が終わって疲れているだろうに帰らず、何もせず事務所に座り続けているのはとても不思議だったが、イルカの店や家ではないのだから、わざわざ理由を聞くのもおかしいだろう。何故かはわからないが、とにかくカカシは常にそこにいた。
ソファに座って、じっとミナトやイルカのことを見ているのだ。ふと目が合うとふんわりと微笑まれるが、特に何か話しかけてくることもない。しかし気まずさを感じてイルカから話しかけると、嫌がる様子もなく、いやむしろ嬉しそうに返事をする。
その姿は、親の用事が終わるのを待つ子どもか、主人の命令を従順に待つ子犬のように思えた。
「で、イルカ君、いつお店に入ってくれるの?」
仕事が一段落した頃、いつものようにミナトがそう言ってきた。
こんなにしつこいと本気なのかと思ってしまうが、目を弓なりに撓ませる表情から、確かに冗談であるというのが分かるので、イルカも安心して断れる。
「だから、俺には無理ですって」
「どうして?」
「どうして、って……俺なんか全然ホストっぽくないでしょう? 浮いちゃいますよ」
「そんなこと言ったら、カカシ君だって全然ホストっぽくないよ? このカカシ君がナンバーワンになれるんだよ?」
ミナトがソファにちょこんと座るカカシを指差す。そう、この会話の最中もカカシはそこにいたのだった。ホストっぽくない、と言われても気にする様子もなく、小首を傾げてぼぅっと会話を聞いている。確かにその姿は、女性たちをもてなし楽しませ、擬似的な恋愛で酔わせるホストだとはとても思えない。
だが、カカシは姿形がよろしいし、夜、女性の前ではきっと違う姿を見せる筈だ。今は昼、仕事でサービスする必要がないから気を抜いているだけだろう。
「イルカ君に出来ない訳ないよ。ね、じゃ今夜、体験入店してみよう」
それも分かっているだろうミナトがにこにこして言う。やはり冗談だ、という顔をしているので、イルカも笑って突っ撥ねようとした。が、
「――ダメです」
イルカが何か言う前に、カカシがそう言った。今まで何にも考えていないような眠そうな顔をしていたのに、突然眉を寄せた不機嫌そうな顔になっている。
「イルカ先生は、ホストはダメ」
いつものように舌足らずな言い方をする。とてもホストだとは思えない話し方だが、言っていることはプロのホストとして理解できることだった。イルカのような野暮ったい者が店にいるというのが嫌なのだろう。店の品位や格式が落ちるとか、そういう尤もなことをきちんと考えているのだ。
ただの冗談とはいえ、不愉快な思いをさせてしまった、とイルカは謝ろうとしたが、その前にカカシが小声で呟いた。
「そりゃ、イルカ先生、素敵だから、すぐナンバーワンだろうけど……」
でもダメ、と、拗ねたように唇を尖らせる。
やはり子どものようにしか見えない態度だったが、さらりと殺し文句を言う様子で、カカシはやはりホストなのだなぁと、イルカは思った。初めて会った時にもそう思ったが、その時のように失望のようなものは感じなかった。お世辞だと分かっていても胸が弾んでしまう。どんな表情をしても綺麗な顔だし、尖らせた唇も色っぽいし、ナンバーワンも納得だ。夜に咲く花だろうが、昼間も花は花なのだ。
「冗談だよ、カカシ君。イルカ先生がホストになっちゃったら、カカシ君心配だよね。ごめんね」
ミナトが噴き出すようにして笑い、イルカ如きがカカシのナンバーワンの座を揺るがすこともないだろうに、そんなことを言う。カカシはからかわれたと思ったのか、ミナトを睨みつけた。どちらかというと、からかわれたのはイルカの方だろうに、カカシは本気の目だ。
ミナトはカカシの目など気にせずイルカに向き直った。
「ん、イルカ君、そろそろお昼だけど、帰りしなにその辺で食べていったら? 御馳走するよ」
からかった詫びだと言うようにウインクされる。
確かにあと半刻程で12時になる。税理士事務所に帰る前に、食事をした方が良いだろう。御馳走していただくのは固辞するにしても、ミナトと一緒に食事をするのは歓迎だ。
その旨を伝えるが、ミナトはこれから来客があって一緒には行けないと言う。ますます御馳走、つまり金だけ貰って一人で食うなんて訳にはいかない。慌ててお暇しようとした。
しかしミナトは押しとどめて言う。
「待って、イルカ君、カカシ君も連れて行って貰える? カカシ君、放っておくとまともに食べないから」
ミナトは意外と強引だ。流石は元ホスト、現歌舞伎町の帝王である。カカシを荷物みたいにイルカの方へ押し出して、「じゃ、また今度」と、イルカの返事も聞かずに去っていった。
「すみません、何か用事があったんでしょうに、俺の所為で」
事務所を出ながら、カカシに謝る。ミナトが言った、カカシに食事をさせろなんてただの言い訳に過ぎず、イルカの昼飯代を払う為だろうと思ったからだ。税理士に対して良くある接待は、イルカはいつも丁重にお断りしているが、ミナトはイルカが負担に思うことのないようにさり気なく持て成してくれる。良くしていただけるのはとても嬉しいが、その所為で、カカシは用があって事務所で待っていたのだろうに放り出されてしまって、申し訳なく思った。
しかし、カカシは気にした様子を見せずに、「別に用なんかないですよ」と、微笑んでくれる。きっとそれは嘘だろうに、その言葉や笑顔はあまりに自然で無理のない優しいものだった。イルカの為にそうしてくれたのだ。だからイルカは謝ることの方が失礼だと感じて、努めて笑顔で礼を言って歩き出す。カカシも隣で笑ってくれた。
外へ出ると、カカシはポケットから黒いサングラスを取り出した。「眩しいから仕方なくなんです」と照れ臭そうに言い訳しながらそれをかける。恐らく、色素が薄いから光に弱いんだろう。言い訳したところをみると、カカシ自身は似合っていないとでも思っているのだろうが、その姿は非常に様になっていた。
多分オーダーで作ってある、身体にぴったりなスーツに収まるバランスの良い長い四肢、その上の小さな銀色の頭。お忍びで行動している海外セレブみたいだ。イルカは自分の安い既製品スーツに包まれた東洋人丸出しの短い足に溜息を吐いた。
往来へ出て、店を探す。
イルカは新宿に詳しくないのでカカシに任せようとしたが、カカシも飲食店をよく知らないと言って、困ったように眉を寄せた。
「ごめんイルカ先生。ごめんね、美味しいお店連れていってあげられたら良いのに……ごめんね」
カカシは全く悪くないのに、そう何度も謝った。
項垂れたカカシの頭で揺れる髪は太陽の光を反射するというよりきらきらと自ら輝いているようだった。初めて自然光の中で見たが、蛍光灯の下でよりも透き通って見える。
こんなに、まるで人形みたいに綺麗なのに、母犬と逸れた子犬のように項垂れてしょぼくれていた。
それはもう何度も言うが、ホストっぽくなんて全然ない。海外セレブだとか、ナンバーワンも納得だとか、数分前に思ったというのに。可笑しくて笑いながら、慌てて「俺なんか、何だって美味しく食べれますから」と訳の分からないことを言ってしまう。
全くフォローになってなかっただろうに、幸い気持ちは伝わったのか、カカシはイルカの顔を見て、唇の両端を持ち上げた。多分、いつものようふんわりと笑ってくれているのだ。イルカはその笑顔が優しくて綺麗で見惚れてしまう。今回はサングラスがあって良かった、と安堵し、いつもより無遠慮にカカシの顔を覗き込んだ。
が、カカシはそう思ったイルカの心を読んだように、素早くサングラスを取り外した。
その下はやはり弓なりに細められた優しい笑みで、イルカはもう目が離せなくなる。
「イルカ先生、優しいね」
そう言って笑う、晩秋の明るい陽光に照らされたカカシは、ただ綺麗だった。
――その花が、夜に咲くのは理由があるのだ。
その美しさに見惚れながら、イルカは思った。昼間明るい場所ではきっと、多過ぎて害になるほど沢山の人間が魅了されてしまうだろうから。
何となくもうお腹がいっぱいのような気になったが、その後結局近くの、夜は居酒屋、というチェーン店に入って、イルカはがっつりと定食を食べた。
味なんか、ほとんど分からなかったけれど。
ちゃんと書けなくてイルカ先生ごめんなさい。
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