2週間前俺は、カカシさんと別れた。
カカシさんとは出会って4年経つ。
恋人、という言葉を使うまでに2年かかったが、その間もあの人は俺の家にしょっちゅう入り浸って、ほとんど毎日一緒にいたから、まぁ丸4年の付き合いと言って良いだろう。
それなのに、あっさりしたもんだった。俺は「別れてください」と、何の躊躇いもなく口に出せた。
カカシさんは最初、悪い冗談だと思ったらしいが、俺の真剣な顔を見てきちんと理解したらしい。「そうですか」とだけ呟いた。運悪くというか運良くというか、その時依頼書を乗せた鳥が窓を叩き、カカシさんは任務に出て行った。
その後、カカシさんが帰ってきた時に少しだけ問答があったが、俺が追い返すと、現れなくなった。それから一度も会っていない。
カカシさんのいなくなった俺の部屋はとても快適になった。
カカシさんの持ち込んだ色々な荷物はまだ置いたままだったが、まとめて端に置いておけばそれ程邪魔にはならなかった。それよりカカシさん自身がいないというだけで大分スペースが空いたからだ。
俺はカカシさんが入り浸る前のように、教材や本や細々とした日用品を一々片づけたりせず、手元に置いておけるようになった。非常に楽だ。
そもそもこの狭いボロアパートで、男としても大柄の方である俺たち二人が一緒に暮らすというのは無理があったのだ。
居間も台所も風呂も、一人でいても狭いと感じるようなところに、カカシさんは無理にぎゅうぎゅう身体を押し込めるみたいに入ってきた。テレビが見やすいからと言ってコタツの同じ一辺に座ったり、食事を作る時は、場所がないから手伝えもしない台所の端に突っ立っていたり、足も伸ばせなくてリラックスできない小さな風呂に一緒に入りたがったりしていた。俺が狭いと言っても、聞きやしなかった。
思うに、カカシさんは単に人肌恋しいだけだったのだ。
お散歩好きな猫がたまに寄って来て気紛れに懐いて見せるようなもので、本当の家は別にある。例えるならそういうことに違いない。
何故なら俺は聞いてしまったのだ。
それは、上忍待機所の前での女性たちの会話だ。
『――カカシはまだあの先生のお家に通ってるの?』
『そうみたいよ。まぁでも、数ある別宅の一つでしょ』
つまり、俺が別れを切り出したのはそういうことだった。
俺の家など、帰宅途中のお散歩寄り道コースでしかないと分かったからだ。
俺は無様にも、あの人の本気で唯一の相手だと思い込んでいた。だからこそ、同性であることによって生じる様々な障害や弊害だとか、いつ死んでもおかしくないような相手を待つ恐怖だとかに耐えてきたのだ。 それが全くの勘違いなら、全ては苦痛でしかない。
別れ話の後一度だけカカシさんがやって来たときに、俺は、「あなたの本当の家に帰ったらどうですか」と言ってみた。
するとカカシさんは「あそこは確かに俺の家だけど…」と、少し俯いた。
そう言ったカカシさんは任務帰りだったので、ベストの脇腹辺りがスパッと切られていたり、埃っぽかったりしていた。
いつもなら、怪我はないかとか、風呂を沸かさなきゃとか色々思うのに、その時はそれを見るのが苦痛だった。
俺のところへ来れば、怪我の手当てなどの面倒なことは全てやって貰えると思っていたのかもしれない、と思えた。
そうして綺麗になった後は、誰か本命の人が待つ本当の家に帰るのだろう、と。
俺は黙って扉を閉めた。
カカシさんはそれからもう来ない。
荷物も取りに来ない。多分大したものは置いてないんだろう。ただの別宅に、大事なものなんか置けるわけがないから。
そうして、2週間経ったある日のことだ。
「イルカ、お前、カカシにこれを渡しておくれ」
五代目が小さな封筒を渡してきた。
条件反射のように思わず受け取ってしまったが、良く考えたら、今となっては俺より五代目の方がカカシさんと会う確率が高いだろう。俺はあの人が家に来なくなったら、どこにいるかも分からない。
だから俺はその旨を伝え、丁重にお断りした。
すると五代目は首を傾げる。
「今夜帰ってきたら渡してくれりゃあ良いじゃないか。何を無精してるんだい」
「帰ってきたら、って……カカシさんはご自宅にお帰りでしょう。ウチにはいらっしゃらないですよ」
「いらっしゃるいらっしゃらない、じゃあないよ。 煩いねぇ。カカシんちはお前んちだろうよ」
俺はそれなりに内緒にしていたつもりだったのだが、五代目は俺とカカシさんの関係をとっくにご存じで、なおかつ黙認して下さっていたのだろう。里の資源となる人材を産み出せない同性同士の付き合いは咎められて当然なのに、それを当たり前のように受け入れてくれるツナデ様の優しさはとても嬉しかった。
しかしそれも2週間前までのことだ。今、俺とカカシさんとは何の関係もないし、金輪際、俺は誰とも、あんな不毛で惨めな関係は築くことはないだろう。
「五代目。カカシさんは、本当にもう、ウチにはいらっしゃらないんです」
俺はせめて、ツナデ様の優しさに誠意で答えようと、真剣にそう言い、もう別れたことを言外に込めた。
しかし、ツナデ様は眉を寄せて「どういうことかねぇ」と呟いた。
「カカシの坊主は、お前の家に住んでいると言ってたよ。非常招集の式も、いつもお前の家に飛ばしてたしねぇ」
「しかし……それは、2週間前までのことでは?」
「いいや。今あいつが行ってる任務で呼び出したのが3日前だ。その時の式も、お前の家に飛ばした。きちんと応答したよ?」
俺は混乱した。
一体どういうことだろう。少なくとも、俺は2週間カカシさんを家に入れていない。
聞きたいことは沢山あったのだが、ツナデ様は「何だい、喧嘩かい。しょうがないねぇ」と言いながら、競馬新聞に夢中になり始め、結局、封筒は預かってしまった。
預かってしまった以上、きちんと渡さなくてはいけないので、俺は私情を忘れることにして、カカシさんを捜した。しかし上忍待機所や上忍寮にも寄ってみたが、カカシさんはいなかった。まだ帰還していないのかと思いきや、そうではないらしい。任務が一緒だったという医療忍にたまたま会って、もう任務も報告も済んでいることを教えてもらったのだ。
任務が終わってからのプライベートな場所は、俺はどこも知らない。他に捜すところを思いつかなかったので、一先ず家に帰った。
封筒を前に、俺は悩んだ。
五代目のご様子からすると、特に急を要するものではないようなので、明日待機所で待つか、他の上忍の方に言付けてもらうかすれば良いだろう。
しかし明日まで気になったままでいるのも、預かり物を持ったままでいるのも、どうも座りが悪い。
しばらく悩んだ末、俺は式を使うことにした。
以前カカシさん本人から、カカシさんのチャクラを探索して飛ぶ式を教えられていたのだ。それを使えば、カカシさんがどこにいても届くらしい。
らしい、というのは、俺は使ったことがないからだった。
そのための特殊な紙は数枚しかもらっていないし、そもそもそんな面倒をしなくても数日に一回は必ず顔を合わせていた。式より口で話した方が早かったというわけだ。
それに、実はずっと、もしもの時に使おうと思っていたのだ。
いつかカカシさんが任務で何処かへ行って、帰ってこなくなかったら。
生きていると信じて、その式で居場所を探し、助けに行こうと、思っていた。
そして、使うことがないように、祈っていた。
実際今まで使うことはなかったが、帰還が予定より遅くなった時に、何度か試してみようかと思ったことがある。
夜中にふと彼がバラバラに切り刻まれる姿や、写輪眼を奪われないために自爆する姿が思い浮かんで、どうしようもなくなってしまったのだ。
出会った日から、カカシさんが帰ってこないという嫌な想像は、俺を苦しめた。あの人はいつも死に近いところにいる。だからそういう想像はとてもリアルに思い描くことが出来た。
俺も忍びだから、里のために死ぬことは怖くない。しかし、カカシさんが死ぬことはとても怖かった。
それでもいつまでも待っていられたのは、カカシさんは必ず帰ってくると信じていたからだ。
“俺のところに”帰ってくると、信じていたからだ。
だからこそ、俺は、こんなに憤り、悲しみ、カカシさんに別れを伝えたのだ。里に戻ってくるのは、俺の家に帰ってくるためではないのかもしれないと知ったから。
しかし――
今日ツナデ様は、カカシさんが俺の家に住んでいると言っていた、と仰っていた。
俺としては、カカシさんには本当に帰る家があって、俺の家は寄り道なのだと思っていたのだが、カカシさん本人が、“住んでいる”と表現してくれていたのなら、話は良く分からなくなってくる。
思えば、俺はカカシさんと何も詳しく話していない。
聞くのが怖かったというのもある。だが、正直に言って、恥ずかしいことに、単に頭に血が上っていて、それどころじゃなかったのだ。
今頃ではあるが、やっと冷静になると、俺はカカシさんときちんと話したいと思ってきた。
だから俺は、式紙に、五代目から預かり物があることを先ず書いたが、一度会って話したい、とも書いておいた。
いつか教えられた通りに紙を折り、印を結ぶ。
教えられたのは随分前だったが、忘れたことはなかった。カカシさんがいない夜に、頭の中で復習していたからだ。
最後に、息を吹きかけると、紙は少しむずがるような仕草を見せながら、鳥へと変化した。
俺は鳥を手のひらで包み、窓を開けて宙に放った。
返事が来るかは分からない。預かり物はどうすれば良いかだけは返事が来て、俺には二度と会いに来てくれないかもしれない。
どこへ行くのかも分からない。カカシさんの本当の家かもしれない。
でももうそれならそれで良いと思った。
カカシさんが生きて帰ってくる理由がそこにあるのなら、カカシさんが幸せなら、それで――。
そんなことを考えている俺の前で、放たれた鳥は、命を得たばかりの為か、準備運動みたいにバタバタと激しく翼を動かし、何度か旋回した。
そして――――
――何故か、家の中へと戻ってきた。
失敗か、と思っていると、鳥は明らかに明確な意思を持って、寝室へと飛んで行った。
俺も追いかけていく。
すると、鳥は口ばしでコツンコツンと――天井を叩いていた。
まさかと思いながらも、チャクラで足裏を壁に張り付かせ、天井板を外すと――
「わーーーーッ!」
カカシさんが落ちてきた。
(ちなみに叫び声は、俺とカカシさんの両方の声である。)
「な、何してるんですかッ! こんなところでッ!」
俺は、イチャイチャパラダイスを両手で持ったまま膝を折り曲げた仰向けの状態で倒れているカカシさんに怒鳴った。
(落ちてきた最中の様子も加味して推察するに、どうやら、三角座りしていたところの尻部分の板を俺に取られて、下に落ちたらしい)
「や、ほら、イルカ先生、怒ってるから。しばらくは顔見せない方がいいかなーと」
カカシさんは倒れた情けない格好のまま、もそもそとそのようなことを言った。
俺はもはや怒鳴る気力を無くし、黙り込んだ。
一体何を言っていいのか、いや、何から言っていいのか、が正しい。言うべきことは大量にある。
「あ! ご、ごめんなさい。勝手に天井裏入って!」
俺が黙っていると、カカシさんはがばっと起き上がって土下座する勢いで頭を下げて、言った。
いや、勝手にとかじゃなくて、許可取ったら良い訳じゃなくて、と思ったが、先ずそこから聞くことにした。
「カカシさん、なんで俺んちの天井裏にいたんですか…」
「そのー…イルカ先生、怒ってたじゃない、2週間前。家に帰れって言われて、一旦は帰ってみたんだけど、やっぱり落ち着かなくて……」
「じゃあ2週間?! ずっと天井に住んでたんですか?!」
「あーまぁ、ハイ、そうですね」
それを聞いた俺の衝撃を何と表現しよう。
上忍相手とはいえ全く気付かない俺も俺だが、忍びとはいえ天井裏で何日も過ごす人間がいるとは、信じられない。実にシュールだ。
俺はもう普通に立っていられないほど脱力し、床に手をついて項垂れた。
カカシさんはおろおろしながら、謝ってくる。
「あの、ほんとすいません、先生。俺、先生が怒ってる理由が分かんなくて。あ、もちろんね、いつも沢山迷惑かけてるから、申し訳ないなぁとは思ってるんだけどね。でも2週間前のは本気で怒ってたでしょう? 俺、しばらくはとにかく大人しくしてようと思って。でも――」
ごめんねごめんね、とカカシさんは何度も謝り。
そして、「でも、そばにいたかったんだ」と呟いた。
俺は打ちのめされた気分になる。もうノックアウトだ。
「――でも、カカシさん、帰る家、あるんでしょう?」
俺は、もしかしてもうそれは違うのかもしれないと思い始めていたが、確認した。
「家はあるよ。上忍寮ね。でもあれはもう物置だよねー」
カカシさんは俺の様子からもう怒ってないと分かったらしい。あからさまににこにこし始めた。架空の尻尾がぶんぶん振られているのが見えるようだ。
それを見て、俺は認めた。全部俺の勘違いだったと。
俺はこの人が好きだと。
そうして、俺は別れを撤回し、カカシさんは天井裏から帰還した。
カカシさんは今日も俺の家に帰ってくる。
そして俺はその帰りを待つ。カカシさんが帰ってこないという想像で苦しみながら、それでも。
ちなみに一応、気になったので、女性たちが噂していた別宅云々について聞くと、やはり若い頃にはそれなりのオイタをしていたらしい。その頃の話をまだしているだけだろうと言う。
少し前なら、嘘臭いと思ったかもしれないが、今の俺はカカシさんを信じている。
(いや、だって、天井裏に住むようなおかしな男、多分女性は相手にしないだろうし。)
(ホント、天井裏はどうだろう……)
カカシがストーカーだと気分が落ち着きます。