私はネコである。名前が、「ネコ」である。
正式には「ネコさん」と言うのだがまぁ「ネコ」でも良い。むしろどうでも良い。そもそもこの正式名と言うのも、たった一人の人間のこだわりによるものであり、別に私がそう呼ばれたい訳でもない。されどもその人間というのが妙にこの点に執着しているので、私も少し位は意識せざるを得ないのである。
この奇妙なこだわりを持った名付け親は、イルカである。名前が、「イルカ」である。
人間でありながら「イルカ」とはこれ如何に、と思う。恐らくイルカの名付け親もまた変わり者だったのだ。
ところでイルカは良く、「イルカ先生」とか「先生」だとか呼ばれている。どれかが正式名に違いないが、呼ばれても怒らない所を見ると、自身の名に関してはこだわらないようだ。不合理である。あるいはもしかしたら、異名なのかも知れない。良く私のことも「ネコ」ではなく、「にゃんにゃん」や「にゃんこ」、「ぬこ」などと呼ぶ者がある。人間の間ではこのように異名が多く通用するのであろう。
そしてこのイルカ、番いがいる。
その番いがまた面白いことに、カカシと言う。名前が、「カカシ」と言う。ぬぼーっとしていて確かに案山子のようではあるのだが、人間である。何だか犬のような匂いもするのだが、やっぱり人間なのである。
さて、この二人だが、今日も今日とて、番いらしく並んで歩いてきた。
カカシの前足にぶら下がった袋から、良い香りがした。多分、鶏肉だろう。私は伏せていた頭を起こした。
「お、ネコさん。元気か!」
すぐにイルカが気付いて声をかけてくる。私の乗っている塀を見上げて、目を細めるようにして笑った。
「今日は冷えるぞ。うち来るか?」
イルカはたまに、このように巣に誘う。私の方は気が向けば行くが、気が向かなければ行かない。今日は前者の気分になった。鶏肉の香りが要因の一つであるが、人間というのは寂しがり屋なのだ。時々構ってやらないといけない。
私はすっくと立ち上がって塀を飛び下り、イルカの横に並ぶことで、無言の返事をした。
するとすかさずカカシが敵意剥き出しの気配を出し始めた。この人間は、年中イルカに発情しているので、私が邪魔だと思ったのだろう。銀の毛並みが逆立っていた。(とはいえ、この人間の毛が逆立っているのは、いつものことなのだが)
「もしかして連れてくの、そのネコ」
「猫じゃありません、ネコさんです。今日はついて来てくれるみたいですね。可愛いんですよ、こたつで丸くなって寝たり」
イルカはにこにこして私を見ている。カカシの様子には目もくれず、私が如何に愛らしく寝そべるか、熱く語っていた。
そうこうする内に、イルカ宅に着く。
イルカがふわふわした布で包まれた四角い箱に手を突っ込んだので、私はそこへ直行した。赤い火が灯ると、じわじわ温かくなる。私はその四角い箱――こたつとやら、がお気に入りだった。人間は全く愚か極まりないが、こたつなどというものを発明したことだけは称賛に値すると思う。
「ほら」
イルカが布をまくり上げ、カカシと一緒に私を覗き込んできた。外気が入り込んで寒い。私は不機嫌になって目を閉じた。目を閉じれば、眠くなるもので――
はっと気付くと、鶏肉の匂いがした。私はしばし寝ていたようである。
イルカの足を選んで、その横の布から頭を出す。
「ネコさんも食べるか? はい」
察したイルカが、食べていた鶏肉をちょっと取ってくれる。私はそれを美味しく頂いた。鶏肉は実に美味い。
もっとくれ、とイルカを見上げると、横に座っているカカシが、また髪を逆立てて、
「イルカ先生、はい、あーん」
と己の持っていた鶏肉をつまんで、イルカに差し出していた。
「いりませんよ」
イルカはぷいっと横を向く。カカシは何度か試みてから、私の方へ差し出してきた。
だが、それは何か食べてはまずいものなのに違いない。だからイルカが食べなかったのであろう。私はイルカに倣ってぷいっと横を向いた。代わりにイルカがくれた肉を食べた。
だが咀嚼しながら、ふと横を見ると、何かまずい筈のものを、カカシが食べている。
なんと、あれは食べられるものなのだ。
それにしては、カカシが差し出しても、イルカはそれを食べようとしない。どうやら相当に諦めの悪い人間であるらしく、カカシは幾度も幾度も差し出す。が、イルカは食べない。
成程、と、私は思った。
焦らしているのだ。イルカはわざとつれない素振りを見せて、気を引いている。つまりこれは番いの可愛らしい戯れなのである。私には分かる。私も大分昔のことだが、かつて番いがあった頃――と、いうのはまあ、長くなる話だから、それはさておき。
戯れなのなら邪魔はすまいと、こたつとやらへ引っ込んだ。
温い。しかも腹がくちいている。私は機嫌が良かった。
だから、箱の中で、カカシが異常な動きを見せていることにも腹は立たなかった。
カカシは何やら、くねくねと足先を蠢かし、イルカの足にちょっかいを出していた。動きだけ見れば、猫が物陰から前足をちょいちょいやるのと良く似ている。まあ、ぷんぷんと発情した匂いを発しているので、そんな可愛らしいものではないように思うが、とにかくは構ってくれというのだろう。
だが、イルカは相手にしなかった。カカシの足を、素早くひっ叩いている。二人はそれを、やはり幾度も繰り返した。
私は、その一部始終をこたつとやらの中で見ていて、
――哀れだなぁ。
そう思った。
これはあんまりであろう。確かに、カカシは愚かで見っとも無く、年中発情していて全くご苦労なことだ。
しかし気分屋の私とて、何事も、幾ら気が向かぬと言っても五回に一回は応じる。ましてや人間は寂しがり屋の愚か者なのだから、五回ゆくまでに三回程で諦めてしまうものだ。それは宜しくない。互いに宜しくない。私もその昔、惚れ抜いた相手が――と、いうのはまあ、置いておき。
恐らく、カカシのことを、イルカは正しく理解していないのだ。見事なまでに発情している面ばかり押し出されているものだから、そればかりかと思うかも知れぬが、そうではない。私は知っている。
しばらく前のことだが、イルカに威嚇してくるカラスを、カカシが追い払ってやっていたのを見たことがある。これは愛だ。守ろうと言うのだ。そして今日エサを分けようとしたのも、愛だ。己が飢えても、という命がけの求愛だ。あと、足を絡めていたのは、まあ……あれは只の発情かも知れないが……とにかく愛なのである。概ね。
だが、カカシとて、イルカを理解していないとも思う。
断言しよう。拒んでいるように見えて、あれは然程、嫌がっていない。私には分かる。何しろ私の惚れた相手も――というのはまあ、置くが。
さてもさても、人間は誠にものの分からぬ生き物だ。人間は手間がかかる。
やれやれ、と思い、私はイルカの足に爪をかけた。
「いてっ」
イルカが叫んだと、同時に、ポンッと音が立つ。白い煙が立ち込めて、それが晴れると――イルカは猫になっていた。
正確には、人間としての形状を保ちながら、猫にあるような三角の耳と長い尻尾が生えている。
「イッ、イルカ……!」
カカシは驚いたような声を上げた。
が、即座に前足を伸ばしてイルカを捕まえる。明らかに、発情している。ぶわっと甘い果物の匂いを発し、イルカを抱き締めて、すりすりと頭を擦り付けた。
「これ何? ねえ、これ何? サプライズ?」
言いながら、すりすりと同時に、ぐりぐりと押し付けている。何を、とは言わない。察して欲しい。
「ギャー! 何すんだ、あんた!」
イルカは暴れた。暴れに暴れた。しかしカカシは怯まない。
ぴんと立った新たな耳の後ろの辺りを、指で細かくくすぐり始める。
するとイルカは途端に大人しくなり、顔を傾けて、目を細めた。背後では尻尾がぱたんぱたんと、ゆっくり床を這っている。そして、もっと、と言うように、徐々に首を反らした。カカシが微笑って、その首を舐める。
「可愛い、イルカ。気持ちいいの?」
囁かれて、イルカがはっと目を開いた。
「違いますよ! 断じて違います」
カカシは否定されてもにこにこした。強引にイルカを抱き上げると、隣の部屋のベッドに落とす。
「何するんですか!!」
イルカは怒鳴り、仰向けのまま、カカシを後ろ足でとたとた蹴り上げた。所謂、猫キックである。あれは本気でなければ存外、痛くない。そして蹴られているカカシの様子からするに、イルカは本気でなかった。
「こーら」
カカシはあっさりとイルカの足を捕らえ、鼻を寄せた。そしてイルカの口に噛みつく。あむあむと口が動いているが、甘噛みなのだろう、イルカは痛そうな顔はしなかった。むしろ、顔を赤くし、気持ち良さそうに目を閉じている。
「…舌も変わってるね。ざらざらしてる」
カカシが口を離して囁いた。
「こっちはどうかな?」
目を閉じたままのイルカを引っくり返し、四つん這いにさせる。そして服を脱がせると、尻尾の生えた尻にも噛みつき始めた。
「嫌だ、止めてください!」
イルカが必死に前足で抵抗する。だがカカシは止めなかった。
それもその筈――イルカの正直な長い尻尾が、引き寄せるようにくるりとカカシの頭に巻き付いているのだった。
「はっぁっ、やだ、カカシさん…や…」
正に発情期の猫のような声が部屋を満たす。
煩くなって、こたつとやらに潜り込んだので、そこから先は、私は知らない。
――翌朝。
ふと顔を出すと、番いがベッドで仲良く寝そべっている。心なしかイルカはぐったりしているが、カカシは上機嫌である。昨夜イルカに起こった変事の原因を、一人で考察していた。
結局、にこにこと笑いながら、
「サンタさんのおかげ」
という結論を出した。
やれやれ、どうやら私に異名がまた一つ、増えてしまったようである。