「もしも」/
「愛してるなんてとても言えない」/
「さとぬけ」/
「海」(断片)
「もしも」
※パラレル。もしもカカイルがサッカー選手だったら。海外プレイヤー(セ○エA)のカカシと、高校のサッカー部顧問イルカ。
「――やっぱりか…」
じっと見つめていたテレビに向かって、イルカはため息交じりに、そう独りごちた。
テレビの中では、この春に行われるワールドカップの、日本代表のメンバー発表が行われている。代表監督が吟味し、選び出した選手たちの名が次々に呼ばれ、その度にそれを聞く記者たちの密やかな唸り声が聞こえたり、頷いているのであろう気配がした。
メンバーは然程意外ではなかった。直前のテストマッチで試されていた選手はほぼメンバー入りしている。監督の構想はブレていないのだ。
その中でも、確実に入るに違いない、いや、彼が入らずして何が日本代表と言えるのかと誰もが思ったであろう選手も、そこに入っていた。イルカが「やっぱり」などと思わず言ってしまったのもその男の所為だ。
――はたけカカシ。 現在イタリアのチームに所属。MF。芸術的なフリーキック、鋭いスルーパスと自ら切り込んでもいけるドリブル、スピード、献身的なディフェンス。フィジカルとスタミナにやや不安はあるが、それを補って余りある技術とハート。
そんな完璧な選手。落選する方がおかしい。
イルカもある高校のサッカー部ではあるが、監督をしている。もし彼のような選手がチームにいれば、間違いなく一番に彼を生かす戦術を考えるだろう。
だがイルカは(おそらく、日本中でたった一人)―――彼が外されることを望んでいた。
だから、テレビの中で、メンバー発表を終え、インタビューに答える監督に向けて、イルカは叫ぶ。
「俺の未来をどうしてくれる、この偽インテリ!」
*
暴言にもちろん理由はちゃんとある。
実ははたけカカシは、イルカの母校、そして今イルカが勤めている高校のOBである。
イルカは、高校の頃から既にスーパープレイヤーだったカカシに、当然憧れていた。カカシがいたからその高校に入ったと言っても良い。4つ違いだから先輩は既に卒業していて、一緒にプレーすることも、校内で見かけることさえなかったが、同じ校舎で、同じボールを使ったというだけで少し誇らしく思えたものだ。
カカシはその頃はプロ入りし、海外からも注目されていた。イルカはそんな彼をテレビで眺めながら励み、そしてプロという道にも憧れながら、しかし適性を見て、教師となった。同時にコーチングも勉強し、審判の資格も取っていたので、自ずとその学校内のチームの監督となって、サッカーと関わり続けている。選ばなかった道も輝いては見えるが、良い人生だと思う。
それが大きく派手に崩れたのは、イルカのチームにOB達が指導をしに来てくれた日だ。はたけカカシも来た。
生徒たちは喜び、イルカも内心大喜びした。カカシが何気なくボールに触れるところを見て、「何て柔らかいタッチなんだろう!」と感動したりした。
だが――
指導が終わり、生徒たちが帰った頃。夕陽が綺麗だった。OBさん達は飲みにでも行こうかと話している。そんな中、はたけカカシは突然、イルカにこう言った。
「イルカ先生。一目惚れです。俺と付き合って下さい」
アンタ、イタリアで何教わった――などと、もちろん言える筈もなく。
戸惑っている内になし崩しに勝手に親交を深められ、きっぱりNOと言う機会を失い。
ちょっと隙を見せればセクハラされる、余りのストレスに耐えきれず――
「ワールドカップで優勝したら!」
そんな、卑怯な手を使ってしまった。
非国民と呼ばれようが、正直に言おう。無理だ。まずは一勝を目指す日本が、ワールドカップで優勝するなんて、あと何十年かかるか。
つまり、体の良い断り文句だった。
が、カカシはそれを聞いて、笑った。
微笑みでも冷笑でも、諦めの悲しい笑みでもない。笑ったのだ、心から嬉しそうに。
――早まった。
イルカがそう気付いた時には遅かった。
カカシはすぐにイタリアへ帰り、厳しいトレーニングを始め、同時に日本代表として選ばれるであろう選手にもそれを課した。オフには帰国し、それらの選手と練習し、コミュニケーションを取った。
カカシは本気だった。本気で、優勝しようとしている。
まさか、とは思う。無理だ、と思う。実際、そんなことは不可能だろう。
しかし。
しかし、ほんの少し思ってしまうのだ。
カカシなら、可能かもしれない。やってのけてくれるかもしれない。
何より――そうしようとする気持ちが嬉しいと。
*
代表選手に選ばれたカカシは、これまで以上に努力するだろう。イルカの言葉を実現させようとして。
こうなったらもう、イルカには太刀打ちできない。
イルカはもう、カカシに抗えない。
本気になったカカシが、ワールドカップで優勝したとしても。
それが無理だったとしても。
必死な顔を見てしまえば。
必死に、イルカを求めていると分かってしまう。
受け入れたいと、思ってしまう。
その夜、彼が余りにも深く眠っているものだから、不安になって唇に手の平を掲げ、胸に耳を当ててみた。
微かな呼吸を手に感じ、重くゆっくりとした鼓動が深く響いてきた。
自分の気配にも、彼は目覚めない。
ほとんど眠らない人だ。
以前、一緒の任務に着いた時も一度も眠らなかった。初めの頃、共に夜を過ごす時も、自分が目覚めると必ずこちらを見ていた。
彼は余り眠らなくても大丈夫なのだと言う。自分はなるべく睡眠は多く取りたいと思う方だから、それはとても驚異的だった。
夜を重ねてしばらくすると彼は、自分といると良く眠れる、と言った。
隣に自分がいると思うだけで、何もかも忘れて、赤子のように眠れるのだと。
自分はそれを聞いて、怖くなった。
自分は彼の忍びとしての全てを奪っている。
彼を守る術を、奪ってしまった。
彼にとって無防備に眠るなど、あってはならないことだったのに。
彼はおそらく、自ら望んでそうしているのであろう。
彼はいつも、誰かのために命を落とすことを望んでいるから。
だから、自分の隣で安心しきって眠った故に殺されてしまうことは、本懐に違いない。
彼は自分の隣で、まるで死んでしまったように眠っている。
とても怖かった。
死、そのものよりも、自分自身が彼の死を招いてしまうかもしれない可能性が、怖かった。
否――それでも彼から離れられない自分が、だろうか。
深く眠る彼の鼓動を感じながら、彼を愛していると自分は思った。
しかし、こんな自分には、彼に愛を語る資格などないだろう。
許される筈もない。
彼の全てを奪うのが、自分かもしれないというだけで、激しく喜んでいるだなんて。
「里を抜けようよ」
ある日カカシさんはそう、歌うように軽やかな調子で言った。
「追忍は心配しないで。俺が守ってあげる。必ず守ってあげる。俺が力尽きて死ぬまで、絶対に。だからね、俺から離れないで。死にたくなかったら、ずっと俺の傍にいなきゃダメだよ」
カカシさんは笑って、俺の腕を強く引いた。
海鳴は絶えず、思考を支配する。
脳髄に寄せた波が、思いついた全ての言葉を海の彼方へ攫っていってしまう。残るのは、破壊され、意味を持たない残骸ばかりだ。それはもはや陸では用を為さず、波間でただ漂うこともできず、何処へも行けない。
その浜はどういった潮の流れか、様々なものが流れ着くそうだ。
海にあるべきもの、陸にあるべきもの、遥か遠い国にあるべきもの――そして、その中の一つが私であった。
ただし私は、何処にあるべきものなのかも忘れてしまった。そうあるべきであったものの残骸という訳だ。
すべきことも、したいこともなく、ただ私はこの砂の上で座り込んでいる。何処へも行けない。
「船を待っているのですか」
海鳴の隙間をぬって、声が聞こえた。それは闇夜を切り裂いて陸へと誘う灯光のように、私の心を海の向こうから引き戻した。
「違います」
深海の底で岩しょうの蠢く音が響いたように思った。それが自分の声だとは俄かには信じられない。
そうだ。自分はこんな声をしていた。そして私は船を待っているのではない。口に出してから私はそれを理解した。
そして不意に、私は船という物体について思い出した。
「船が沈没する」
私は思いつくままに言う。
「沈んでいく」
それ以上は言葉にならなかった。
ただ、何かが見える。
それは、打ち揚げられた記憶の残骸であった。
静かな夜だった。波は眠りこんだように静かで、海の上にいるということを忘れるほどであった。
だから唐突に現れた大渦は、人の手によるものだと人々は言った。それがどのように為されたものであるかは分からなかったが、確かに、その渦は自然現象としてただそこにあるものというよりは、意志を持って船を呑み込もうとしていた。
渦が現れた時にすぐ避難し始めたから、船内ではもう人の声はしない。俺はそこを、独り、よろよろと這うように進んでいる。
俺は探していた。
逃げ、今は他の船にいる者の中にも、逃げ遅れて先刻まで船内にいた者の中にも、見つけられなかった。
――何処にいるんだ。
いつの間にか口を塞いでいた水に阻まれて、その声は酷く掠れて小さかった。当然に、返事はない。巨大な大渦が近いからか、夥しい海水が船内に流れ込んでくる為か、水音とは思えないほど凶暴な音が絶えず鼓膜を震わせる。
しかし聞きたい音は他にあった。
だから俺は呼び続けた。
すっかり水に浸かり、言葉が声になってなどいなくとも、俺はただ、その名を呼んだ。
ふと気付けば、波打ち際が随分遠くなっている。
奇妙な幻は波と共に引いて行ってしまった。私はまた絶えることのない海鳴に身を委ねる。
地平線に太陽が横たわるのと同時に、夜が背後から忍び寄ってきていた。
私の眼は然して暗闇に動じることはない。変わらずその浜に流れ着く様々なものを見て取れた。
正面には半分に欠けた鏡、波に近い辺りには色鮮やかな異国のものらしい絵本、右手の方には元は人であったものが見える。
そして先程まで足先に掠めていた波が引いた辺りに、私はあるものを見た。
紐である。
砂に埋もれかけていたそれを引き抜くと、長さは一尺近くほどあった。極細い糸を縒って作られている。私はそれを掌に乗せ、海水を吸った所為だろう、結構な重量であることを感じる。
夜目で見るとそれは、確かに青と呼ぶ色であろうに、刻々と色を変える不可思議なものであった。海水を吸い過ぎたのか、海そのもののような色である。
「それが何か知っているのですか」
灯光がまた聞こえた。
私は「知らない」と答える。
そして海の色をしたその紐を、左手首に巻きつけた。用途など知らない。
しかしこれは私のものだ。私の手にあるべきものだ。そういう強い執着を感じた。